なんか最近ひざが重い夜に、そっと気になりはじめた関節サプリと毎日の違和感の話

白っぽい光で目が覚めて、でも体だけはぜんぜん起きていなくて、布団の中で一回だけ「今日はこのまま溶けたい」と思う日があるんですよね。
洗面所の床はまだひんやりしてるし、顔を洗う前の自分はわりと無防備で、鏡の前に立つと、寝ぐせとかむくみとか、そういう見えてほしくないものばっかり先に目に入る。
それで足元の洗濯かごをまたいだ瞬間に、あ、なんか今日ひざまわり重いかも、って気づく朝がこのところ少し増えました。
痛いとまで言うほどじゃないのがまた微妙で、だからこそ誰にも言わないし、言ったところで「運動不足じゃない?」で終わりそうで、いやそれはそうなんだけど、そういう話でもないんだよなってひとりで口をとがらせる。
仕事ではわりとちゃんとして見られたいほうだし、接客のときって、思っている以上に立つし歩くし、にこにこしているぶんだけ体の小さい違和感は後ろに追いやりがちで、夜になって靴を脱いだ瞬間にだけ、「あー…」って変な声が出る。誰もいない部屋でしか出ない声って、ありますよね。
そんな日の帰り道、スマホをなんとなく見ていて目に入ったのが、徳永薬局株式会社のプロテオグリカンサプリメントでした。
調剤薬局を運営している会社が出している関節サポート系のサプリで、1日3粒が目安、定期コースの初回は1,980円、2回目以降は2袋で8,470円という案内になっていて、鮭・豚肉・えびかに由来の成分が含まれているらしい、というあたりをぼんやり読みながら、こういうのって“今すぐ困ってる人”だけのものなのかな、と少しだけ指を止めました。
新しい下地とか、ちょっと気分が上がるリップとか、そういうものには反応できるのに、自分の体の内側のちょっとした不調には意外と鈍いままで、いや鈍いというより、気づいても見ないふりがうまくなってるだけかもしれません。
だって、ちゃんと寝れば平気かも、湯船につかれば変わるかも、明日はもっと軽いかも、って毎回少しだけ期待してしまうから。
それに、サプリメントって認める感じがあるじゃないですか。
自分の中の何かが、以前より少し揺らいでることを。
そこがたぶん、私はいちばん引っかかっていたんだと思います。
まだ三十歳なのに、って言い方もしたくないし、もう三十歳なんだから、って決めつける言い方もあんまり好きじゃない。年齢って便利な言い訳になるときもあるけど、雑にひとまとめにされると少しだけ悲しい。なのに自分がいちばん、体のちょっとした変化を年齢のせいにしそうになる。そういうときの自分、ほんとうに感じが悪いなって、たまに思います。
Threadsを見ていると、すごく大げさな不幸じゃないけど、なんか地味に気になる、みたいな声って多いじゃないですか。
立ちっぱなしの仕事の日の夜だけ階段がいや、とか、しゃがんで荷物を取る瞬間だけちょっと身構える、とか、母親みたいなこと言ってるって思いながら湿布にはまだ行きたくない、とか。
ああいう半分冗談、半分本気みたいなつぶやきを見てると、みんな案外ちゃんと無理してるんだなって変に安心するし、その安心のしかたもどうなんだろうと思う。しんどさって、誰かと比べて軽いから放っておいていいわけでもないのに、つい「このくらいで気にするの、ちょっと大げさかな」って自分にツッコミを入れてしまうんですよね。
徳永薬局のこのサプリは、プロテオグリカン原料を1日3粒あたり75mg配合していて、ほかにもN-アセチルグルコサミン、ヒアルロン酸、II型コラーゲン、生姜成分が入っているそうです。調剤薬局が出しているという安心感も、たぶんこういうジャンルでは意外と大きい。派手すぎないのが逆によくて、すごく夢みたいなことは言ってこない感じが、ちょっと今の自分に合うかもなと思いました。言われると、その場で即決できるほど素直でもないんですよね。
サプリって、飲んだからって次の日の朝いきなり人生が軽くなるわけじゃないのを知ってるし、ちゃんと続けるには、財布のことも、気分のことも、わりと現実的に考えなきゃいけない。
定期コースって聞いた瞬間に一回だけ心のシャッターが下りる人、私だけじゃないはず。お得だとしても、いったん落ち着かせて、ほんとに続けるのか、いまの自分はこういうものを頼ってみたい気分なのか、そのへんを静かに見たい。
しかもこういうとき、コスメなら即ポチできるくせに、体の土台に近いものほど慎重になるの、なんなんだろう。昨日あんなに勢いで服をカートに入れたのに、って自分で自分に言いたくなる。
夜、お風呂上がりに髪を乾かしながら、洗面台の前で片足立ちになってクリームを塗るとき、ほんのちょっとバランスを崩しただけで「あ、やだ」と思う瞬間があるんです。
別に転びそうになったわけでもないし、深刻でもない。
でも、ああいう一瞬って妙に記憶に残る。
そのあと何事もなかった顔でスキンケアして、ビタミンのサプリを飲んで、スマホを見ながらベッドに入るんだけど、頭のすみにはずっと残ってる。
美容って、鏡の前の数分だけのことじゃないんだなと最近よく思います。顔色とか髪のまとまりとか、もちろんそういう見た目も気になるけれど、体がなんとなく重たい日って、表情のやわらかさまで少し鈍る気がする。接客していると余計にわかるんですよね。笑っているつもりでも、余裕がないとどこか固い。
だからこういう関節まわりのサポート系って、見た目の美容から少し離れているようでいて、実はぜんぜん遠くないのかもしれない、と最近は思います。
軽やかに歩けるとか、立ったりしゃがんだりにいちいち気を取られないとか、そういうのって案外、その日の機嫌に直結してる。
機嫌がいい日にしか優しくなれない、なんて言いたくはないけど、疲れているとどうしても全部の感情がギザギザしてくるから。コンビニでレジ袋の持ち手がうまく開かないだけで心の中が荒れる夜、ありますよね。あれ、たぶん私だけじゃない。
そういう日の自分を救うのって、壮大な目標より、地味で静かな整え方だったりする。
プロテオグリカンって名前だけ見ると、正直ちょっと理科室みたいで身構えるんですけど、公式の案内では軟骨サポートの方向で紹介されていて、飲み方は水やぬるめのお湯と一緒に、噛んでもよいとされていました。食品だから、薬みたいにきっちり身構えなくていいのも、取り入れるハードルを少し下げてくれる気がします。商品の良し悪しだけじゃないんですよね。
そのときの自分が、どこまで疲れているか。
どこまで自分を放っておいたか。
そこを見ないまま買うと、たぶん届いたあとで急に気まずくなる。
通販の箱を開けながら、「私、そんなに必死だったんだ」って急に照れるあの感じ、わかる人いるかな。誰に見せるわけでもないのに、ひとりでちょっと恥ずかしいやつ。
しかも定期の初回価格って魅力的なぶん、最初の勢いだけで決めそうになるから、そこがまたむずかしい。欲しいのはたぶん即効性の約束じゃなくて、これからの自分に少しだけ手をかける口実みたいなものなのに、画面の前ではつい白黒つけたくなる。
この前、仕事帰りに駅の階段を下りながら、前を歩く女性のヒールの音がカツ、カツ、ときれいに響いていて、なんかそれだけでちゃんとして見えて、いいなと思ったんです。
私はその日スニーカーだったのに、なぜか負けた気がして。
何にだよ、って話なんですけど。
そういうくだらない見栄とか、誰にも言えない張り合いって、年齢を重ねるほど減るのかと思っていたら全然そんなことなくて、むしろ静かに増えている気がする。
きれいでいたいとか、ちゃんとしていたいとか、まだまだ軽やかでいたいとか、そのへん全部つながってるのに、口にすると少し浅く見えそうで、うまく言えない。
だからサプリを見る視線にも、健康だけじゃなくて、見え方のこと、機嫌のこと、年齢への抵抗みたいなものが混ざってしまうんだと思います。
徳永薬局のプロテオグリカンサプリメントを見ていて、いいなと思ったのは、その混ざった気持ちをあまり笑わない感じでした。
人生100年時代、みたいな言葉は正直ちょっと大きすぎて、私はまだそこまで遠くを見られないんですけど、明日の出勤と来週の予定くらいなら見られる。
その距離感で考えたとき、立つ、歩く、しゃがむ、起き上がる、そういう毎日の小さな動きに目を向けるのは、そんなに大げさなことじゃないのかもしれません。
気合いを入れて自分改革、みたいなノリではなくて、あ、最近ちょっと気になるんだよね、くらいの温度で近づけるもののほうが、たぶん続く。
私はなんでも本気すぎると疲れるので、こういう“ちょっと寄りかかる”くらいの選択肢は嫌いじゃないです。
ただ、結局いちばん引っかかっているのは、私は何を守りたいんだろう、というところかもしれません。
見た目の若さなのか、仕事終わりの余力なのか、休日に出かける気分なのか、それとも、まだ大丈夫って言える自分のプライドなのか。
たぶんどれも少しずつで、どれかひとつじゃない。
そう思うと、サプリを飲むかどうかって、成分表だけの話じゃなくなるんですよね。
自分が自分をどんなふうに扱いたいか、その確認みたいになってくる。
ちゃんとした食事を毎日作れない日もあるし、湯船をさぼる夜もあるし、寝る前にスマホをやめたいと言いながら動画を二本見てしまうし、そんな私が“整える”なんて言うの、ちょっと笑える。
でも、笑えるくらいがちょうどいいのかもしれない。完璧に健康意識が高い人じゃなくても、少しだけ自分に手をかけたい夜はあるから。
たぶん、こういうものを選ぶときって、劇的な変化を信じたい気持ちと、そんなうまい話あるわけないでしょって冷めた気持ちが、同じテーブルに座ってる。
私はそのどっちも追い出せなくて、今日もスマホの画面を閉じたり開いたりしています。
頼るのは負けじゃないって言いたい日もあれば、いやでもまだそこまでじゃないでしょって思う日もある。
その揺れ方そのものが、いまの年齢のリアルなのかもしれません。
ひざとか関節とか、そういう言葉を自分ごととして受け取るのは、少しだけ勇気がいる。
美容液を買うより、たぶんずっと。
でも、鏡の前で整えたいものが顔だけじゃなくなってきたとき、私はようやく、自分の毎日の機嫌って体の小さいサインとつながってるんだなと気づきはじめたところです。
徳永薬局のプロテオグリカンサプリメントを見ながら考えていたのは、成分がどうとか価格がどうとか、それだけではなくて、最近の私は、自分の不調をどこまで“気のせい”で片づけてきたんだろう、ということでした。
気づいていたのに、見ないふりをしていたもの。
言うほどじゃないからと飲み込んだ違和感。
そういう小さいものほど、あとからじわっと残るのかもしれないですね。
今日もたぶん、明日の朝は普通に来るし、私はいつも通り顔を洗って、髪をまとめて、何事もない顔で外に出るんだと思います。
そのとき、体のことを少し気にする自分を、過敏だとか、まだ早いとか、そういう言葉で追い払わないでいられるのかな。
それともまた、「まあいっか」で通り過ぎるのかな。
最近の私は、そのへんをまだ決めきれていません。
でも、決めきれないまま立ち止まる夜があること自体は、そんなに悪くないのかもしれないです。
たぶん、こういうのって、答えを出すより前に、自分の小さい違和感に名前をつけるところからなのかもしれません。





