なんか疲れて見える朝に使いたい、上まぶた専用リッドキララで目元印象を自然に補正

帰りの電車の窓に映った自分の顔が、思ったより疲れて見える夜がある。
四月に入ってから、駅のホームに立っている人たちの服が少しだけ軽くなって、空気も冬ほど硬くないのに、私だけまだ三月の終わりみたいな顔をしている気がして、なんとなく居心地が悪い。
仕事帰り、パンプスの先が少し痛くて、肩にかけたバッグは地味に重くて、スマホにはどうでもいい通知だけがたまっていた。そういう、特別なことは何も起きていないのに、生活の細かいところがじわじわと気分を削ってくる日がある。
今日もたぶん、そういう日だった。
部屋に帰って、玄関で靴を脱いだまましばらく立っていた。照明をつける前の薄暗い空気の中で、冷蔵庫の低い音だけが聞こえていて、テーブルの上には朝飲みかけたペットボトルと、昨日のレシートと、読みかけのまま閉じた文庫本がある。
ちゃんと生活しているつもりなのに、こういう光景を見ると、ああ、私は今日も「なんとなく回せた」だけで終わったんだなと思う。
洗面所で前髪をピンで留めたとき、鏡の中の自分の目元が、少しだけ重たく見えた。別に泣いたわけでもないし、寝不足が極端だったわけでもない。
ただ、上まぶたのあたりに、その日のくたびれがそのまま座っているみたいで、なんだか言い訳のきかない感じがした。
目が小さいとか大きいとか、そういう話だけじゃない。顔全体の印象って、ほんの少しのことで「元気そう」にも「もう今日は無理そう」にも見えてしまう。
しかも困るのは、自分がいちばんその差に気づいてしまうことだ。人から見たらたいした違いじゃないのかもしれないのに、自分の中では、その数ミリの差がそのまま気持ちの下がり方とつながってしまう。
塗るだけなのに、即パッチリ目を目指せる上まぶた専用商品として出ている【リッドキララ】は、そういう“上まぶたの印象”に特化して作られたアイテムらしい。公式では、速効性は物理的皮膜効果によるものとされていて、上まぶたにハリを与えて引き締める設計が特徴だという。容量は10gで、1日2回の使用で約1カ月分と案内されている。
でも、たぶん今日の私が引っかかったのは、「目を大きくしたい」みたいな派手な願望じゃなかった。ただ、くたびれた感じを少しだけ脇に寄せて、人と話すときの自分を、もう少しだけ信じたかったんだと思う。そういう気持ちは、案外、誰にも言わない。
今日の顔にだけ、やけに厳しくなる瞬間
夜、Uberを開いて、閉じて、また開いた。お腹は空いているのに、食べたいものがよくわからない。こういうときの私はだいたい、選ぶこと自体に疲れている。結局、コンビニで済ませようと思って部屋を出た。
マンションの外は少しだけ風があって、昼間のやわらかさがもう引いていた。近くのコンビニまでの道は短いのに、そのあいだずっと、さっき鏡で見た自分の目元のことを考えていた。
ほんとうに、そんなに変だったかな、とか、でも最近ちょっとこういう日多いかも、とか、誰も気にしていないことをひとりで反芻している感じが、少しだけばからしい。
レジに並んでいたとき、前にいた女性がスマホのインカメでさっと前髪を整えていて、その動作が妙に慣れていてきれいだった。ほんの数秒のことなのに、その人は「今の自分」を雑に扱っていない感じがした。
私はカゴの中のサラダチキンとおにぎりを見下ろしながら、ああいう小さな手入れの積み重ねが、たぶん顔つきとか雰囲気とか、そういう曖昧なものの差になるんだろうなと思った。
その瞬間、心の中で浮かんだのは、わりと嫌な本音だった。
私、ちゃんとしてるように見られたいんだな。
もっと正確に言うと、「雑に扱われない顔」でいたいのかもしれない。仕事でも、恋愛でも、はじめの数秒で決まってしまうことがあると知っているから。
自分の中身をちゃんと見てほしい、なんて言うくせに、入り口の印象を少しでも整えたいと思ってしまう。矛盾しているし、浅いと言われたらそれまでだけど、そういう気持ちはたぶん、見栄だけでは片づかない。
わかる人にはわかると思う。別に劇的に変わりたいわけじゃない。ただ、会った瞬間に「今日はなんか疲れてるね」と言われる側じゃなくて、「あれ、なんかいい感じだね」と、理由までは追及されないくらいの側にいたいだけなのだ。
リッドキララは、上まぶたに人工皮膜のフィルムをつくって持ち上げる“ハリエフェクター”と、独自成分「リッドキシル」、さらにタイトペプチドを配合して、上まぶたのハリ感にアプローチするつくりだと公式で説明されている。即時の見え方と、日々のケアの両方に触れているのが、この商品の特徴らしい。
だからたぶんこれは、単なる見た目の話だけじゃない。人に会う前、鏡の前でほんの少し気持ちを立て直したいときの、あの感じに近いのだと思う。
きれいになりたい、じゃなくて、なめられたくない

ここ数年で、自分の気持ちの言い方が少しずるくなった気がする。
「別にモテたいわけじゃないし」
「そこまで気にしてないし」
「年齢相応でいられたらいいし」
そうやって先に予防線を張るのがうまくなった。ほんとうにそう思っている部分もあるけれど、全部が全部そうでもない。ちゃんとした格好をしたい日もあるし、少しでも顔色よく見せたい朝もあるし、何より“疲れて見えない自分”でいたい日は確実にある。
それを認めるのって、意外と恥ずかしい。
頑張ってるのに余裕がない顔になるの、わりとつらい。しかも、そのつらさって大事件じゃないから、人には説明しにくい。恋愛がうまくいかないとか、仕事で失敗したとか、そういうわかりやすい話じゃなくて、ただ鏡の中の自分に少しがっかりするだけ。でも、その「少し」が一日の終わりに積もると、案外ちゃんと効いてくる。
本当は今日、コンビニの帰り道で少し意地悪なことを思った。前から歩いてきたカップルの女の子が、たぶんすごく可愛いわけじゃないのに、なんだかすごく機嫌よく見えて、いいなと思った。顔立ちより、気分が顔に出ている人っている。そういうのを見ると、自分は自分の機嫌を顔に出すのが下手なんだなと、急にみじめになる。
でも、そのあとすぐに、少しだけ別のことも思った。もしかしたら私は、可愛くなりたいというより、「しんどさをそのまま顔に置いておきたくない」のかもしれない、と。
それは見栄とも違って、もっと生活に近い感覚だ。寝ぐせを直すとか、シャツのしわを伸ばすとか、そういう小さい整え方の延長線。人に見せるためでもあるけれど、それ以上に、自分がその日の自分を雑に扱わないための動作。
通販限定で長く売れ続け、累計販売個数は170万個に達したと公式は案内している。派手な美容ワードではなく、上まぶたというかなり限定された悩みに特化しているところに、逆に切実さが出ている気がした。
たぶん私は、劇的な変化の物語にはもうそんなに酔えない。昨日までの私が今日から突然別人、みたいな話は、読むぶんには嫌いじゃないけれど、自分にそのまま当てはめると少し苦しい。それよりも、夜のコンビニに行く前に一回だけ鏡を見るとか、出かける前に上まぶたの印象を少し整えてみるとか、そういう“目立たない調整”のほうが、今の自分には合っている気がする。
変わるんじゃなくて、置きっぱなしにしないという感覚
部屋に戻って、おにぎりの袋を開ける前に、洗面所でもう一回鏡を見た。
さっきと同じ顔のはずなのに、少しだけ見え方が違った。たぶん、外の風に当たって頭が冷えたのと、コンビニまで歩く数分のあいだに、自分の機嫌の悪さを少しだけ客観視できたからだと思う。顔そのものというより、顔に乗っているものの正体が、さっきより少しだけわかった感じ。
疲れてるんじゃなくて、私は今日、「放っておかれてる感じ」が嫌だったのかもしれない。
仕事でも恋愛でもなく、自分に対して。ちゃんとしてる人に見られることには慣れているのに、自分で自分を雑に扱っている夜がある。その矛盾に気づいたとき、少しだけ息がしやすくなった。
何かを大きく変えるのは無理でも、置きっぱなしにしないことなら、たぶんできる。
顔の印象もそうで、気持ちもそうだ。しんどい、だるい、今日はもう全部適当でいい、そういう日があるのは仕方ない。でも、そのままベッドに倒れ込む前に、一回だけ鏡を見るとか、髪を手ぐしで整えるとか、明日の服を椅子の背にかけておくとか、そのくらいの小さなことなら、今の私にもできる。
それは前向きさというより、放置しないための最低限の手当てみたいなものだ。大人になると、誰もそこまで面倒を見てくれない。だからせめて、自分で自分を見捨てない動作をひとつだけ持っておくと、夜の感じが少し変わる。
リッドキララの公式ページを見ていて少し印象に残ったのは、「上まぶた」というかなり狭い場所に対して、速効の見え方と日々のケアを同時に考えている点だった。全部を変えるんじゃなくて、まず一か所、自分がいちばん引っかかっているところから手を入れる。そういう発想は、生活にも少し似ている。
一気に整えるのは無理でも、ひとつならできる。たぶん、そういうことなのだと思う。
まとめ
今日の私は、目元の話をしているようで、ほんとうは「疲れを顔に置いたまま人に会いたくない」という、わりと地味で切実な話をしていたのかもしれない。
大げさな悩みじゃないし、誰かに相談するほどでもない。だけど、そういう小さな引っかかりって、生活の輪郭をじわじわ決めていく。自分の顔にがっかりする夜が続くと、人に会う気力まで少しずつ削れていくから、侮れない。
だから、目元をどうこうする商品に惹かれる自分を、今日はあまり笑わないでおこうと思った。見た目に執着している、というより、明日の自分を少しだけやりやすくしたいだけなのかもしれないから。
変わりたい、じゃなくて、置きっぱなしにしたくない。
そのくらいの気持ちなら、きっと誰にも責められなくていいし、私も私にそこまで意地悪にならなくていいのだと思う。
明日もたぶん、完璧な顔では出かけられない。部屋は少し散らかっているだろうし、スマホを見すぎて寝るのも、たぶん急には直らない。それでも、鏡の前でほんの数秒だけ、自分を放置しないでいられたら、それは思っているよりちゃんとしたことなのかもしれない。
人はたぶん、劇的に変わる前に、まず“雑にしない”から始まる。
そしてその最初の一手は、案外、上まぶたみたいな小さな場所に出るのかもしれない。





