眠る女性
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十時間眠った朝、少しだけ世界から遅れた気がした——寝すぎることは、そんなに悪いことなんだろうか

眠る女性

目が覚めたとき、部屋がもう朝の明るさじゃなくて、昼の遠慮のない光で満ちていることがある。


カーテンのすき間から入ってきた白い光が、床に脱ぎっぱなしの部屋着と、昨日コンビニで買ったペットボトルをくっきり照らしていて、それを見るだけで少しだけ気持ちが沈む。


スマホを手に取ると、通知はそれなりに来ているのに、自分だけがその時間から置いていかれたみたいで、胸の奥がざらっとする。


たくさん眠れたはずなのに、すっきりするどころか、むしろ少し重い。
ああ、また寝すぎたんだ、と思う朝がある。

十時間以上眠ってしまうことがあります。「寝過ぎも体に悪い」って本当ですか。
この言葉、誰かに面と向かって聞くほどでもないのに、ひとりでいると妙に気になる。


寝不足は体に悪い。これはもう常識みたいに言われている。
でも寝すぎも悪い、と聞くと、じゃあ私はちゃんと休めてもいないし、上手にも眠れていないのか、と急に不安になる。


ちゃんと寝なきゃと思っているのに、たくさん寝た日までうまくできていない気がするのは、少し理不尽だ。

眠りすぎた朝にだけ見える、自分への雑さ

洗濯機も回していないのに、昼だけが先に来ていた

今日の午前中、私は十時間以上眠ってしまった。
前の日に特別なことがあったわけじゃない。


仕事から帰って、メイクを落として、お風呂に入る前にベッドに少しだけ腰掛けて、Instagramを見ていたら、気づけば一時間近く経っていた。誰かの丁寧な朝のルーティンや、余白のある部屋や、肌がつるんとしている同年代の動画をいくつも見たあと、自分の部屋に視線を戻すと、見慣れているはずの六畳が急に生活感でいっぱいに見えた。


冷蔵庫には、卵とヨーグルトと、食べかけのキムチしかない。
シンクにはマグカップがひとつ。
洗濯物は椅子の背にかかったまま。
べつに困るほど散らかっているわけじゃないのに、「ちゃんとしてない証拠」みたいに見えてしまう夜がある。

そんなふうに少しだけ自分にがっかりしたまま寝ると、眠りが休息というより避難みたいになる。
ちゃんと休むために寝るんじゃなくて、いったん考えるのをやめるために眠る、みたいな感じ。


だから朝じゃなくて昼に近い時間に起きたとき、私はまず体の心配より先に、生活をサボった人みたいな気持ちになる。
洗濯機を回していないことより、午前中という、立て直すための時間を丸ごと受け取れなかったことに、ひそかに傷つく。

寝すぎた朝って、体が重いというより、自分に対する態度が荒くなる。
「またか」「だからだめなんだよね」と、誰にも言われていないのに、自分で自分を雑に扱いはじめる。
たぶん本当にしんどいのは、十時間眠ったことそのものじゃなくて、そのあとに始まる自己採点なのだと思う。

大人になると、体調そのものより先に「この不調をどう評価するか」で消耗してしまうことがある。

それでも、少しだけ事実の話をすると、成人の睡眠時間は一般に七時間以上が推奨されていて、健康な大人の目安として七〜九時間がよく示される一方、米国睡眠医学会と睡眠研究学会の成人向け推奨では「七時間以上」が勧められていて、上限は一律には定めていません。つまり、一回十時間眠ったから即アウト、という単純な話ではないみたいです。

この「一回なら即だめではない」という曖昧さは、少し救いでもあり、少し厄介でもある。
白黒つけてくれたら安心できるのに、眠りはたぶん、もっと生活に近いものなのだと思う。
食欲と同じで、その日だけ多い少ないではなく、続き方とか、背景とか、起きたあとの感じまで含めて見ないとわからない。

十時間眠ったことより、十時間眠らないと戻れなかったことが気になった

正直に言うと、私が気になっているのは「寝すぎは体に悪いのかな」という表向きの疑問だけじゃない。
ほんとうは、そんなに眠らないと動けない自分は、どこかおかしいんじゃないか、という不安のほうが大きい。

たとえば、平日はずっと六時間台の睡眠で乗り切っていて、休日だけ長く眠ってしまうなら、それは単純に疲れや睡眠不足がたまっていて、埋め合わせるように寝ている場合もあるみたいです。NHLBIでも、休みの日に長く眠ることは、普段足りていない眠りのサインかもしれないと案内しています。

これを読んだとき、ちょっとだけほっとした。
ああ、私の体、怠けているんじゃなくて、遅れて請求書を出してきているのかもしれない、と思ったから。
でも同時に、別の意味で怖くもなった。
あと払いみたいに眠っているだけなら、平日の私って、ずっと軽い無理を続けているってことになる。

思い返すと、私の「寝すぎる日」は、決まってものすごく忙しかった日の次ではない。
むしろ、人に気を遣いすぎた日とか、SNSを見すぎた日とか、なにか失敗したわけでもないのにじわじわ削られた日のあとに多い。


接客でずっと笑っていた日。
なんでもない会話を、帰りの電車でひとり反省した日。
返事が遅い友達のLINEを気にしながら、でも自分から追いメッセージするほどでもなくて、変に宙ぶらりんな気持ちのまま終わった日。


そういう日は、体力というより、心の表面がずっとこすれている。

誰にも言っていないけれど、私は「ちゃんとして見える自分」を維持するために、思っているよりたくさんの電池を使っている。


職場ではにこやかにして、言葉を選んで、感じよく見えるようにして、帰宅したらどっと無口になる。
その落差を、私はずっと性格の問題だと思っていた。
でももしかしたら、長く眠ってしまう日があるのは、だらしなさじゃなくて、回復の形が少し不器用なだけなのかもしれない。

もちろん、頻繁に九時間以上眠る状態が続くことや、十分寝ても昼間に強い眠気があること、起きるのがつらすぎることには、別の背景が隠れている場合もあります。NHSやMayo Clinicでは、過度の眠気の背景として睡眠時無呼吸症候群、うつ、薬やアルコールなどを挙げています。

ここは少しだけ、きれいごとじゃなく言いたい。
「寝すぎちゃった」で済ませていい日もあるけれど、毎回それで片づけるのは、自分の不調を雑に見過ごすことにもなる。
寝すぎが悪い、というより、「なぜそんなに眠らないとつらいのか」を無視し続けるほうが、たぶん怖い。

「たくさん眠った日」に責められている気がするのは、体より先に、心が“正常に戻るまでの時間”を測ってしまうからなのかもしれない。

悪いのは長い睡眠そのものじゃなく、自分のサインを見ないことかもしれない

寝すぎは体に悪いのか。
たぶん答えは、「場合による」なんだと思う。
こういう、はっきりしない答えは嫌いだ。
恋愛でも仕事でも、なるべく明確なほうが楽だから。
でも生活って、たいていそこまで親切じゃない。

研究では、長い睡眠時間がいくつかの健康リスクと関連したという報告もあります。ただ、それは「長く眠ることそのものが必ず害をつくる」と言い切る話ではなく、背景に病気や睡眠の質の問題、うつ状態などが隠れていて、長い睡眠がサインとして表れている可能性も含めて考えられています。AASMの成人向け推奨でも上限は定められておらず、ジョンズ・ホプキンスも、ふだん八〜九時間以上必要と感じるなら睡眠や医療上の問題のサインかもしれないとしています。

だから私は、「十時間眠ってしまった自分」を一発で有罪にするのを、今日は少しやめてみようと思った。
代わりに見るべきなのは、たぶんその前後だ。
何日も無理が続いていなかったか。
眠っても眠っても昼間つらい状態が続いていないか。
いびきや息苦しさ、気分の落ち込み、薬の影響はないか。
それが何度もあるなら、生活習慣の見直しだけじゃなく、ちゃんと相談していいのだと思う。十分寝ても日中の強い眠気が続くなら受診が勧められています。

今日の午後、私は遅い時間に白湯を飲みながら、寝すぎた自分を反省する代わりに、昨夜の自分を少しだけ思い出していた。
あのとき本当は疲れていたんだろうな、とか。
SNSを見ながら、他人の整った生活に勝手に押しつぶされかけていたんだろうな、とか。
ちゃんと眠れたことより、ちゃんと疲れていたことを認めるほうが、私には少し難しい。

わかる、と思ってくれる人がいるかわからないけれど、休むのが下手な人ほど、休んだあとに罪悪感を持つ。
眠れなかった夜より、眠りすぎた朝のほうが、自分を責める材料が多いのかもしれない。
起きた時間、散らかった部屋、動けない頭、減った半日。
数字にしやすいものばかりだから。

でも、もしかしたら。
十時間眠ったことが問題なんじゃなくて、十時間眠らないと回復できないところまで、静かに削れていたことのほうが問題なのかもしれない。


そう思うと、「寝すぎて最悪」で終わっていた朝が、少しだけ違って見える。
だめな自分の証拠ではなく、見ないふりをしていた疲れの、かなり正直な報告書みたいに。

大人になるって、体調を崩さないことじゃなくて、自分の小さな異変を、根性論に変換しないで受け取ることなのかもしれない。

今夜また、私はたぶんスマホをだらだら見てしまうし、完璧な生活にはならないと思う。
帰宅後すぐにストレッチして、ハーブティーを飲んで、同じ時間に眠る、みたいな理想のルーティンは、たぶん明日も少し遠い。
それでも、次に長く眠ってしまった朝、前よりほんの少しだけ違う問いを自分に向けられたらいい。

これ、怠けたのかな、じゃなくて。
私、最近どこで無理してたんだろう、って。

そうやってしか拾えない不調も、たぶんある。
眠りすぎた朝は、失った時間を数える日じゃなくて、見過ごしていた疲れの輪郭にやっと触れる日なのかもしれない。
だとしたら、十時間眠ったことを責めるより先に、起きたあとの自分に、少しだけ静かな顔を向けてもいいのではないだろうか。

そしてもし、その長い眠りが何度も続くなら。
それは「私ってだめだな」で片づける話じゃなくて、ちゃんと体か心の声として扱っていい。
誰にも迷惑をかけていない不調ほど、後回しにされやすい。
でも、本当に後回しにするときついのは、たぶんそういうものだ。

寝すぎも体に悪いのか、と聞かれたら、私は今はこう答えたい。
寝すぎた一日それ自体が、すぐにあなたをだめにするわけじゃない。
ただ、長く眠ることが続いたり、眠っても回復しなかったりするなら、それは責める材料ではなく、気づくための材料になる。

眠りって、意外と正直だ。
起きているあいだにごまかしたものを、夜のあいだに回収してくる。
だからたまに、昼まで眠ってしまう日がある。
そのことを、全部だらしなさのせいにしてしまったら、私たちは自分の疲れに、ずいぶん失礼なのかもしれない。

あなたは最近、どんな疲れを「寝すぎ」で片づけてしまっているんだろう。

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