ノーファンデ出勤の日、鏡の前で固まった朝の本音と“疲れてる?”が怖い理由

美肌女性
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すっぴんで会社へ行った日、視線が気になってしまう私の先読み不安

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薄い曇りで、窓の外の光がやけに白い朝だった。

起きてすぐの部屋はまだ冷えていて、ケトルの湯気だけが「今日も生活は始まりますよ」と先に立ち上がる。私は寝ぼけた顔のまま洗面台の前に立ち、いつもなら反射的に手を伸ばす“いつもの道具”を探した。

けれど、そこにあるはずのものがない。

ファンデーションのケースが、ない。昨夜のバッグの入れ替えのときに、どこかに紛れたらしい。引き出しを開けたり、ポーチをひっくり返したり、床に落ちていないか目を凝らしたり、時間だけが静かに減っていく。

一瞬、「今日はマスクで隠せるし」と思いかけた。

けれど、最近は職場でも少しずつ“顔を見せる時間”が増えてきて、会議中にマスクを外す流れも当たり前になりつつある。私は、その小さな変化に追いつけないまま、なんとなく“塗ることで整える”を続けてきた。

整えるって便利な言葉だ。整える、と言えば、何かが良くなっている感じがする。でも実際は、整えるという名の“隠す”をしていたのかもしれない。

遅刻しそうで、諦めるしかなくて、私は洗面台の鏡に向かって小さく言った。

「今日、ノーファンデで行くわ」。宣言というほど大げさじゃないのに、声に出した途端、胸の奥がぐっと固くなった。誰に聞かせるでもないのに、なぜこんなに勇気が必要なんだろう。

ノーファンデ宣言した日の勇気

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家を出る前、鏡の前で数秒だけ立ち尽くした。すっぴんの自分の顔は、良くも悪くも“ちゃんと人間”だった。肌の話はしたくない、と思うくらい、ここでは見た目の良し悪しよりも、私の心の反応のほうがうるさかった。

目の下の影に視線が吸い寄せられて、口角の位置にまで神経が行き届く。いつもより少し眠そうに見える、と思うだけで、今日一日がもう既に「大丈夫かな」という不安の上に乗っかってしまう。

そして、その不安の正体が、自分でも情けないほどはっきりしていた。「疲れてる?」って言われたくない。元気がない人に見られたくない。

仕事の場で、私の“中身”より先に“印象”が決まってしまうのが怖い。たった一枚の薄い膜みたいなものに、私はどれだけ頼ってきたんだろう。

玄関のドアを閉めた瞬間、外の空気が湿っていて、髪の毛が少しだけ広がった。最悪だ、と思って、思わず笑いそうになる。こういう日に限って、いろんなものが小さく乱れてくる。

電車のホームで、ガラスに映った自分が目に入る。あ、やっぱり今日の私は“そのまま”だ。いや、いつももそのままなんだけど、今日は言い訳できないそのままだ。

1)改札前の鏡に映った「武装解除」

今日の小さな出来事は、本当に小さい。駅の改札を抜けたところにある、全身が映る大きめの鏡。そこを通るとき、いつもは見ないふりをするのに、今日はなぜか、目が勝手に向いた。

鏡の中の私は、会社に行く格好をして、バッグを肩にかけて、ちゃんと社会人の顔をしているのに、どこか“丸腰”だった。たぶん、私が勝手にそう感じているだけなのに。

その瞬間、誰にも言わなかった本音が浮かんだ。「私、バレたくないんだ」。何がって、弱っているところとか、迷っているところとか、昨日の夜にちょっとだけ泣きそうになったところとか。

そういうものが、顔ににじみ出ている気がして、鏡の中の自分に急に焦った。別に泣いたわけじゃないし、大きな出来事があったわけでもないのに、顔というのは心の投影みたいに感じてしまう日がある。

私は、ファンデーションを“肌を整えるもの”として使ってきたつもりだったけれど、今日の鏡の前で、少し違う意味に気づいてしまった。

それは、私の感情を、生活の疲れを、曖昧にぼかすための“薄いカーテン”だったのかもしれない。見せたくない自分を、見えにくくするための。

ここまで書いておいてあれだけど、きっと同じことを感じたことがある人は少なくないと思う。朝の鏡で、なんとなく「今日の顔、社会に出して大丈夫かな」って思ったこと、あるよね。わかる…。

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2)職場の「気づかないふり」と、私の心臓

職場に着いて、席に座って、パソコンを開いて、仕事のスイッチを入れるまでの一連の動きは、いつも通りだった。むしろ、いつもより丁寧に振る舞ったかもしれない。声のトーンを少し上げて、目線をしっかり合わせて、笑うタイミングを意識して。

自分で書くと計算高くて嫌になるけど、私は“元気な人”のふりが、わりと上手い。上手くなってしまった。上手くなる必要があった、とも言える。

午前のミーティングで、隣の席の先輩がふいに私の顔を見た。ほんの一秒くらい。気のせいかもしれない。でも、その一秒が、心臓に直接手を突っ込まれたみたいに感じた。

私の中で何かが叫んだ。「今、見られた。何か思われた」。そして私は、頭の中で勝手に相手のセリフを作り始める。「今日、どうしたの?」「疲れてる?」「顔色悪いよ」。誰もそんなこと言ってないのに。

ここで、私は自分の癖を見た。私は相手の反応を“先読み”して、自分を守ろうとする。失敗しないように、傷つかないように、先に結論を作って、そこで自分を小さくしてしまう。

ノーファンデは、今日の私にとってただの見た目の問題じゃなかった。私の“先読み防衛”が、いつもより強く働いてしまうトリガーだった。

だけど、午後になって、ふと思った。先輩はただ、資料を見ながら私の方を見ただけかもしれない。私の顔がどうこうではなく、そこに人がいるから目線が動いただけかもしれない。そんな当たり前の可能性を、私はいつも後回しにして、最初に自分を責める方向に転がしてしまう。

私は一人暮らしで、家に帰れば静かで、誰にも評価されない時間がある。だからこそ、外に出た瞬間に“評価される空気”に敏感になるのかもしれない。

誰もが自分のことで忙しいのに、私は自分の顔に、今日のコンディションに、必要以上に意味を持たせてしまう。そんな自分を笑いたいし、でも笑えない。だって、怖いんだもん。

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3)帰り道のコンビニで起きた「小さな反抗」

夕方、仕事が終わって、帰り道にコンビニに寄った。いつも通り、温かい飲み物と、ちょっと甘いものを買いたくなってしまう時間帯。レジ前のガラスにまた自分が映った。

朝の鏡と違って、今度は疲れがちゃんと顔に乗っている気がした。私は思わず、棚の商品を見ているふりをして、もう一度自分の顔を盗み見た。やっぱり、私は自分を確認したいらしい。安心したいのか、がっかりしたいのか、よくわからない。

そのとき、後ろに並んでいた女性が、スマホを見ながら小さくため息をついた。仕事終わりの、どうにもならない疲れの吐き出し。私はその音を聞いて、なぜか肩の力が抜けた。

ああ、この人も疲れてる。私だけが“完璧じゃない顔”で立ってるわけじゃない。誰だって、帰り道は少し乱れている。たぶん、乱れているのが普通だ。

そこで私の中に、ささやかな反抗が生まれた。今日はノーファンデで来てしまった、じゃなくて、ノーファンデで一日やり切った、にしてしまおう。

塗り忘れたのは事実だけど、途中でドラッグストアに駆け込んで“元に戻す”こともできたのに、私はしなかった。できなかった、じゃなくて、しなかった。そこに小さな意思があった。

私は「勇気」とか「自信」とか、そういう立派な言葉で今日を飾りたくない。そんなにキラキラした話じゃないし、むしろ一日中ビクビクして、周りの目を勝手に想像して、心の中で何度も取り繕っていた。

でも、その中に一つだけ、今日だけの違和感が残った。

私は、自分の“疲れ”を人に見せたくないというより、疲れている自分を自分で認めたくないのかもしれない。疲れてるってことは、頑張ったってことなのに、なぜか私は「疲れてる=ダメ」に結びつけてしまう。

帰宅して、コートを脱いで、部屋の電気をつけた。いつもの静けさが戻ってくる。鏡を見ても、誰も何も言わない。そこでやっと気づいた。私が今日いちばん怖かったのは、他人の視線そのものじゃなくて、他人の視線を借りて自分を裁いてしまう自分だったんだ、と。

ファンデーションがある日もない日も、私は同じ私で、同じ仕事をして、同じ生活を送っている。なのに、塗らないだけで「私はちゃんとしてない」と感じてしまう。

その“ちゃんと”って、誰が決めたんだろう。会社の空気? 世間? それとも、過去の私が自分に課してきた基準? 答えは出ないけれど、少なくとも今日、私はその基準を一瞬だけ疑うことができた。疑えた、というだけで、ちょっとだけ呼吸が楽になる瞬間があった。

もちろん、明日またファンデーションを塗るかもしれない。正直、塗ったほうが安心する日だってあるし、私はまだ“薄いカーテン”を完全に手放せるほど強くない。

でも、今日の帰り道のコンビニで、ため息が聞こえたあの瞬間みたいに、世界は案外みんな余裕がなくて、みんなそれぞれの事情で、みんな自分のことで精一杯で、私の顔にそこまで興味がないのかもしれない、という仮説を持てたのは大きい。

それでも、明日の朝、鏡の前でまた立ち尽くす自分がいる気もする。そこで私は、今日のことを思い出せるだろうか。ノーファンデで一日を過ごしたことよりも、その間ずっと動いていた“先読み防衛”のこと、疲れをダメと結びつけた癖のこと、そして、ほんの小さな反抗をした自分のことを。

今日の結論は、たぶん「平気だった」でも「自分らしく」でもない。むしろ、「平気じゃなかったけど、逃げなかった」に近い。私は今日、完璧じゃない顔で、完璧じゃない心のまま、電車に乗って、仕事をして、コンビニで甘いものを買って帰ってきた。それだけのことが、なぜだか少し、誇らしくもあり、少し、悔しくもある。

あなたは、最近“薄いカーテン”を外した日がありますか。外したというより、外れてしまった日でもいい。そこに、どんな本音が浮かびましたか。

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