肌荒れは生活のクセを覚えてる気がした夜に読んでほしい話

冷蔵庫の前に立ったまま、私はしばらく動けなかった。
夜の十時過ぎ。キッチンの蛍光灯だけが白くて、部屋の奥は暗い。洗い物の水滴がシンクに残っていて、スポンジは少しだけぬるい。換気扇の低い音と、スマホの通知が鳴らない静けさ。…こういう静けさって、安心のはずなのに、今日はちょっと怖い。
冷蔵庫の扉に映る自分の顔が、思っていたより疲れていた。目の下の影が濃くて、頬がくすんで、口角が「今夜は喋らない」と言ってる。私は、いつもみたいに「今日もお疲れさま」って自分に言えなかった。言おうとして、喉の奥で引っかかった。たぶん、今日はうまくいかなかった日だったから。
仕事で、ほんの小さなミスをした。大きな損害が出たわけでもないし、誰かに怒鳴られたわけでもない。でも、あの瞬間の空気だけは、肌に残っている。会議室の乾いた匂い、机の冷たさ、同僚の視線が一瞬だけ止まった感じ。私は笑って取り繕ったのに、帰りの電車でマスクの中がやけに湿った。
帰宅して、メイクを落として、化粧水を叩いた。いつものルーティン。いい香り。手のひらの温度。なのに、肌が受け取ってくれない感じがした。入っていかないというより、「今日はそれどころじゃない」と言われているみたいで。鏡の前で私は、急にムッとした。肌に対してムッとするなんて、変だよね。
“肌は生活態度を全部覚えてる”って、昔どこかで聞いた言葉が、今日になって刺さった。
生活態度。そんな大げさなものじゃない、と思っていた。私は犯罪者じゃないし、夜遊びもしないし、ちゃんと洗顔して、保湿して、日焼け止めも塗る。なのに、肌はたまに容赦なく裏切る。頬にだけ現れる赤みとか、あごの奥の硬いニキビとか、急に増える毛穴のざらつきとか。いつも決まって、心が弱ってるときに。
「睡眠、足りてないでしょ」「ストレス溜めてるでしょ」
肌はそんなふうに説教してくる。言い返したいのに、言い返せない。だって、たぶん当たってる。
実際、睡眠の質が悪いと肌のバリア機能が落ちたり、見た目の老化サインが強く出たりする、って研究もあるらしい。睡眠不足の人ほど肌の満足度が低い、なんて、刺さる結論も書かれていた。
ストレスが強いと皮膚のバリアが悪化する、という話も見つけた。
頭ではわかる。だから、私は今日も「早く寝よう」と思った。思っただけで、結局スマホを握ったまま、布団の中でだらだらスクロールした。
そういうところが、生活態度なんだろう。
だけど私は、ただの怠け者でいたくない。怠けているというより、こわいのだ。目を閉じたら、今日のミスが「もう一回」再生されそうで。眠ることが、失敗を反芻する時間に思えてしまう夜がある。そんな夜に限って、肌は乾く。かゆい。ひりつく。まるで「ちゃんと向き合え」と言われているみたいに。
私は洗面台の前に戻って、鏡に近づいた。蛍光灯の下の肌は、容赦がない。いつもなら見ない距離で見てしまう。小さな毛穴の影、頬の薄い赤み、ファンデが乗ってた場所の名残みたいなざらつき。見ているうちに、腹の底がじわっと熱くなった。
私、今日、ちゃんと自分を大事にしてない。
そう思った瞬間、ちょっとだけ泣きそうになった。大事にしてないって、具体的に何? 睡眠? 食事? 運動? スキンケア? 全部あいまいなのに、胸だけが重い。たぶん私は、生活態度って言葉を「人格」に結びつけてしまう。肌荒れ=だらしない、みたいな。そうやって自分を裁く癖がある。
でも、肌は裁いているのかな。覚えてるだけなんじゃないか。体が受けたことを、ちゃんと記録してるだけ。眠れなかった夜、甘いものに逃げた夕方、呼吸が浅かった会議、冷たい風にさらされた帰り道。肌は、それをただ“覚えている”。責めてはいない。結果だけが、表面に出る。
そう考えたら、少しだけ息が深くなった。
私は今日、夕飯を適当に済ませた。白米の代わりにパン、野菜の代わりにお菓子。お腹は満たされたのに、体は満たされていない感じ。高GIの食事や高い糖負荷がニキビと関連する、という研究があるのも知ってる。
糖がたんぱく質にくっついて、コラーゲンが硬くなったり老化に関わったりする“糖化”の話も、最近よく見る。
知ってる。知ってるのに、今日の私は甘いものを食べた。だって、今日の私は「がんばった」より「くじけた」に近かったから。くじけた日は、甘いものが一番簡単に優しい。
その“簡単さ”が、あとで肌に出る。
わかっているのに、やめられない。
私はここで、いつもなら「だから明日からは」って立て直す文章を書きたくなる。でも、今日はそれができない。明日からが、たぶんまた同じかもしれないから。早寝も、野菜も、白湯も、ストレッチも、全部正しい。正しいからこそ、できない自分がしんどい。
そんなとき、肌が荒れると、さらにしんどい。
鏡を見るたびに「ほらね」と言われている気がする。誰も言ってないのに。
肌は「出来事」より「姿勢」を覚えてる

今日のミスは、たぶん明日には誰も覚えていない。私ですら、数日後には「なんか落ち込んだ日」くらいに薄まると思う。でも肌は、もう少し長く覚える。たとえば、寝不足が続いたときの乾燥。ストレスが続いたときの赤み。空気が乾いていた日が続いたときのざらつき。どれも、単発の出来事より、「その期間の姿勢」を写している気がする。
私が思う“姿勢”は、生活の選択の積み重ねというより、もっと小さい。コンビニで野菜ジュースを手に取るか取らないか。エレベーターを使うか階段を一階だけでも歩くか。LINEの返信を今返すか、寝る前にするか。呼吸が浅くなっているのに気づくか、気づかないふりをするか。
肌って、そういう「自分の扱い方」をそっと拾って、あとでレシートみたいに出してくる。
…と書くと、また説教っぽい。でも私が言いたいのは、肌が正直だという美談じゃなくて、肌が“私の嘘”を見抜く、という怖さのほうだ。
私は平気なふりが得意だ。大丈夫です、できます、わかりました、って言える。言えるけど、言った瞬間に心の中で小さく割れる音がする。その割れたかけらを、肌が拾っている気がする。拾って、頬の赤みとして置いていく。あごのニキビとして埋めていく。目の下の影として残していく。
ここまで来ると、肌は味方なのか敵なのかわからなくなる。
それでも、肌が荒れる夜にだけ見えるもの
肌が調子いい日は、私の世界も少しだけ明るい。ベースメイクがきれいに乗ると、駅のガラスに映る自分がちょっとだけ好きになる。誰かの言葉を受け流せる。未来のことを考えられる。
でも肌が荒れる夜は、世界のノイズが全部大きい。電車の広告の肌がうらやましくて、SNSの「すっぴんでも透明感」に心がざわついて、化粧水のボトルの残量すら不安になる。そういうとき私は、肌を直そうとして、実は心を直したいのかもしれない。
逆に言うと、肌は心の「代理」になってる。
言葉にできない疲れ、言えなかった怒り、飲み込んださみしさ。それらを全部、肌が“症状”に変換してくる。だから私は、肌の前でだけ弱くなれる。誰にも見せない顔を、鏡だけが見ている。
今日の私は、まさにそれだった。
冷蔵庫の前で固まって、鏡の前でムッとして、急に泣きそうになって。たぶん、私は「うまくいかなかった」を、まだ消化できてない。だから肌が、代わりに覚えている。
私は、肌を変えたいんじゃなくて、今日の自分を“なかったこと”にしたいだけなのかもしれない。肌が荒れると、それができない。ちゃんと残る。だからつらい。
そして、だからこそ、少しだけ救われる。
だって、残るってことは、私がちゃんと生きてるってことだから。うまくいかなかった日も、私の人生の一部だってことを、肌が勝手に証明してしまう。いや、証明されるのは恥ずかしい。できれば隠したい。でも、隠しきれない。
そんな矛盾の中で、私は今日も保湿をする。
明日のため、というより、今夜の私を落ち着かせるために。
たぶん肌は、生活態度を全部覚えてる。
でも、覚えているのは「ダメな私」の証拠だけじゃなくて、「無理してた私」「がんばってた私」「気づかないふりをしてた私」も含まれている。
だから私は、肌に対して謝るより、少しだけ聞いてみたい。
今日の私は、どこで息を止めた? どこで笑ったふりをした? どこで自分を雑に扱った?
答えはまだ出ない。出したくもない。
ただ、冷蔵庫の前で立ち尽くした数分間だけは、私の中で確かに“何か”が動いた気がする。
結論は、保湿だけじゃ追いつかない夜がある、ということ。
でもその夜があるから、明日の肌も、明日の私も、たぶん少しだけ変わる。
それに、肌が荒れる日はだいたい、部屋も荒れている。脱いだニットが椅子の背にかかっていて、洗濯カゴの中でタオルが湿ったまま丸まっている。枕カバーを替える気力がなくて、「まあいいか」と言いながら、顔を同じ布に押しつける。そういう小さな諦めも、肌は覚えてる気がする。覚えてるというより、触れてしまう。私が触れさせてしまう。
だからたぶん、肌に効くのは成分だけじゃない。生活の中の“雑さ”と“やさしさ”の配分。今日は雑が多かった。明日は、やさしさを一匙増やせたらいい。増やせなくても、せめて「増やしたい」と思えたことを、肌が覚えてくれたらいい。
肌に出るのは、たぶん私の“態度”じゃなくて、私の“今日”そのもの。





