からあげ棒を選んだ帰り道で気づいた、頑張りすぎていた自分のこと

くつろぐ女性
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美容も健康もちゃんとしない日に、なぜか心が少し軽くなった夜の話

女性

雨が降りそうで降らない、いちばん中途半端な空。
帰り道のコンビニの自動ドアが開いた瞬間、あったかい風と一緒に、揚げ物の匂いがぶわっと顔に当たって、私は反射的に「うわ、油…」って思った。
そのあと0.3秒で、脳内の別人格が出てくる。

「美容のために、やめとこ?」
「健康のために、今日は我慢しよ?」

……って言う“フリ”をする私。

でも今日は、そのフリをやめた日だった。

私はレジ横のホットスナックを、迷いなく取った。
からあげ棒。名前がもう直球すぎて好き。
袋を受け取った瞬間、手のひらがじんわり熱くて、なんかそれだけで「生きてる」って感じがした。

昔の私なら、こういう時に必ず言い訳を準備してた。
「今日は歩いたし」
「明日から調整すればいいし」
「タンパク質だから…」
全部、“ちゃんとしてる私”の衣装。

でも、その衣装を脱いでみたら、想像してたほど寒くなかった。

自宅に着くまでの数分、私はかじりながら歩いた。
マフラーの中で息が白くなって、口の中は熱くて、コートのポケットの中はスマホでいっぱいで。
ひとり暮らしの夜って、外側は静かなのに、内側はやたらと騒がしい。

「からあげ棒ひとつで、何をそんなに大げさに…」って、今この文章を書きながら思う。
でも、こういう小さな“やめた”って、案外大きい。

私はここ最近、美容や健康に「気を遣ってるフリ」をずっと続けてた。
実際に気を遣ってた部分もある。
朝は白湯、夜はストレッチ、サプリは忘れないように。
SNSで見た“体にいい習慣”を、できる範囲で真似して、ちゃんとした人の仲間入りをした気分になってた。

なのに、どこかでずっと息が浅かった。
いいことをしているはずなのに、胸の奥が落ち着かない。
頑張ってるのに、自分にOKが出ない。
「もっとできるよね?」って、無言で詰められてる感じ。

たぶん私は、“健康”とか“美容”を、ケアじゃなくてテストにしてた。
正解を取るための。
間違えたら減点されるやつ。

しかも、誰も採点してないのに。



気を遣ってるフリをやめた結果

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からあげ棒を食べたのは、きっかけというより「たまたまの引き金」だった。
本当の理由はもっと地味で、もっとダサい。

朝からうまくいかなかった。
洗濯物を干したら、思ったより風が強くて、ハンガーが一個落ちた。
落ちた音が、妙に大きく響いて、胸がきゅっとした。
それだけで、今日が「うまくいかない日」に決まった気がした。

そのあと、鏡を見て、肌が荒れてるのに気づいた。
寝不足のサインみたいな、薄い赤み。
私はすぐに原因を探す癖がある。

「昨日、甘いもの食べたから?」
「寝る前にスマホ見たから?」
「水分足りてない?」
「腸が…」
美容や健康の知識が増えるほど、犯人探しも上手くなる。
そして、犯人が見つかると、次は罰を与えたくなる。

だから今日も、昼はサラダにしようと思ってた。
“整える”って名目で、心を締め上げるやつ。

でも会社(というか、職場の空気)で、ちょっとだけモヤっとしたことがあった。
誰かの何気ない一言。
悪意はないのは分かる。
ただ、その一言が、私の中の「頑張ってるのに報われない箱」をコンと叩いてきた。

私は笑ってやり過ごした。
大人だし、感じ良い私でいたいし。
でも、帰り道に残るのは、笑顔の余熱じゃなくて、冷えた違和感。

その違和感を、私はいつも“健康的な行動”で押さえつけようとしてた。
食べ物をコントロールして、体重をコントロールして、睡眠をコントロールして。
自分の中の不安を「管理」できた気になれるから。

実際、「健康のための正しい食事」にこだわりすぎて、生活が苦しくなる状態は「オルトレキシア」と呼ばれることがあるらしい。1997年に提唱された言葉で、過度な健康志向が摂食障害的な苦しさにつながるケースも語られている。
私がそれに当てはまるかは分からない。
ただ、私はたしかに「正しい」側にいたかった。
正しくあれば、嫌な気持ちにならないと思ってたのかもしれない。

でも現実は、正しくしても、嫌な気持ちは発生する。
むしろ、発生した嫌な気持ちを「発生させた自分」が許せなくなる。
その二重苦。

からあげ棒を食べながら、ふとスマホのヘルスケアアプリを開いた。
歩数と睡眠時間と、達成したかどうかの丸いバッジ。
あの画面、正直ちょっと好きだ。
今日も「できた」が並ぶと安心するし、「できなかった」が並ぶと、なぜか人格まで否定された気になる。

完璧主義って、たぶん“ちゃんとしていたい”の服を着た不安なんだと思う。
私はいつも、失敗を恐れて先に自分を縛ってしまう。
縛っている間だけは、転ばない気がするから。
でも縛ったまま走るから、息が切れて、最後はその場に座り込む。

今日みたいな日は、座り込む前に「もういいや」って言ってしまった。
それが、負けなのか、救いなのか、まだ分からない。

からあげ棒を食べた夜、私が感じたのは罪悪感より、変な安心だった。
「今日は、もう“優等生ごっこ”しなくていい」っていう、降参の安心。

それで思い出したのが、厚生労働省の白書で、20〜39歳は健康リスクとして“ストレス”を挙げる割合が他の世代より高い、みたいな話。
そうだよね、って。
私だけじゃない。
でも、みんな“ストレスがある”って言いながら、やってることは「もっとちゃんとする」なんだよね。
ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、ちゃんと運動して、ちゃんと笑って。
“ちゃんと”の洪水。

そして私は、その“ちゃんと”の中で、ずっと息継ぎができてなかった。


「ケア」が「義務」になる瞬間

スキンケアをする女性

美容や健康って、本来は自分を守るためのもののはず。
でも、どこかでそれが「義務」になった瞬間、急にしんどくなる。

セルフケアについての資料を眺めていたら、ストレス対策として「仕事とプライベートに境界をつくる」みたいな話が出てきた。
境界って、習慣より先に必要なんだろうなと思った。
私の場合、境界がないから、全部がルールになる。
食事も睡眠も運動も、できたら加点、できなかったら減点。
休むことさえ、上手に休めなかったら減点。

今日、フリをやめたことで起きた変化は、たぶん派手じゃない。
むしろ外から見たら、悪化に見えるかもしれない。
「気を遣わなくなった」って聞くと、雑に生きる方向に見えるから。

でも私の中では、少しだけ別の意味だった。

からあげ棒を食べたら、体が軽くなったわけじゃない。
肌が急に綺麗になったわけでもない。
体重計に乗って「やったー!」みたいなこともない。
現実は、いつも通り。

ただ、心の中の監視カメラが一台、電源オフになった感じがした。
それが、ものすごく大きかった。

夜、洗面所でクレンジングをしながら、私はいつもより丁寧に泡を転がしてた。
不思議だけど、「やけになって雑になる」じゃなくて、「もう誰にも見せないから、ちゃんと触ってあげよう」になった。
フリをやめたら、逆に優しくなれる瞬間があるんだ、って思った。

でも、同時に怖さも出てくる。
フリをやめたら、どこまでやめていいの?って。
今日の私は、からあげ棒で済んだけど。
明日は、スキンケアも投げ出したくなるかもしれない。
運動も、栄養も、「全部どうでもいい」ってなったらどうしよう。

私はたぶん、“やめる”ことが怖い。
やめたら崩れる気がする。
ひとり暮らしって、誰も止めてくれないから。

だけど今日みたいに、うまくいかない日に限って思う。
崩れないように頑張りすぎて、すでに内側がひび割れてることもある。
外見は立ってるのに、中身だけ砂みたいにさらさら落ちていく感じ。

健康とか美容の情報って、世の中にありすぎる。
「これが正解」って、毎日更新される。
そのたびに私の中の“優等生”が、ノートを取り始める。
でも、ノートが増えるほど、私は自由じゃなくなる。

今日、からあげ棒の脂を舌で感じながら、ふと考えた。
私が欲しかったのは「健康的な体」より、「安心して息をする場所」だったのかもしれないって。


問いをひとつだけ残すなら。

私は、誰に見せるために、あんなに“気を遣ってるフリ”をしてたんだろう。

自分のためって言いながら、実は“誰かの目”の形をした何かに、ずっと頭を下げてたのかもしれない。
その誰かは、SNSの中の知らない人だったり、昔の同級生だったり、母の声だったり、私自身の厳しさだったり。
特定できないのに、確かにいる感じ。

からあげ棒を食べ終わった袋を捨てたあと、部屋の中はいつも通り静かだった。
なのに私は、少しだけ呼吸が深くなってた。

この深さが、明日も続くかは分からない。
たぶん、またフリをしたくなる日も来る。
でも今日の私は、フリをやめても世界が終わらなかったことを、体のどこかが覚えてる。

窓の外で、信号が青になって、また赤になって、それを繰り返している。
私の中の“ちゃんとしたい”も、たぶん同じ。
青になったり、赤になったり。
その揺れごと抱えたまま、私は明日の朝の白湯を、飲むかどうか、まだ決めていない。

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