今日のスキンケアニュースを見て、私は「肌」より先に心が乾いた話

1月22日。外に出ると、息が白くて、マフラーの内側に閉じこめたはずのぬくもりが、駅の階段を上るたびにすり減っていくみたいな朝だった。家を出る直前に、いつものように鏡の前で前髪を整えたのに、会社のビルに着くころにはもう「私、今日ずっと風に負けてるな」って顔をしていて、コートのポケットで手を握ったまま、スマホを開いた。寒い日は、体より先に気持ちの方が縮こまる。私はそれを、なんとなく知ってる。
昼休み、コンビニの明るさに助けられるようにして、あったかいスープを買い、席に戻る途中で、無意識にYahoo!のトップを眺めてしまった。目的は特にないのに、指だけが勝手にスクロールする、あの感じ。そこに今日、目に入ったのが「レチノール×PDRN」みたいな、カタカナとアルファベットが仲良く並んだスキンケアの話題だった。新しい美容液が話題で、ベストコスメを取ったとか、部分用のセラムが出るとか。
それだけなら「へえ」で終わるのに、私は終われなかった。最近の美容ニュースって、情報というより、たまに“置いていかれる速度”みたいなものを連れてくる。私の肌の状態がどうとか、何が似合うとか、その前に「今の流行を知らない自分」が、なぜかちょっと恥ずかしくなる。
恥ずかしいって言うほど大きい感情じゃないのに、喉の奥に小骨みたいに残る。小骨って、食事の邪魔にはならないけど、ずっと気になるじゃない? まさにあれ。
今日の私が選んだ主軸は、「置いていかれる焦り」じゃなくて、そのさらに奥にある、もっと地味で言いにくい感情――“情報に追いつけない自分を、恥ずかしいと思ってしまう瞬間”だ。美容に興味がないわけじゃない。
むしろ、興味はある。だからこそ、追いかけられない自分に、小さく敗北感を抱く。そういうの、たぶん誰にも言わないし、言うほどのことでもないと思って飲み込む。でも、こういう小さな飲み込み癖が、あとでじわじわ効いてくるんだよね。
ひとつ目の出来事:昼休みに、知らない単語に負けた

その「レチノール×PDRN」の文字を見た瞬間、私は反射的に「PDRNって何?」って検索窓を開いた。レチノールは知ってる。なんとなく、夜に使うと良いとか、刺激が出る人もいるとか、そういう“雰囲気”は。だけどPDRNは、正直、初対面。しかも、初対面なのに、みんなが当然みたいな顔で使っている単語って、いちばん怖い。
検索結果を眺めながら、私はちょっと笑ってしまった。肌のことを調べているはずなのに、頭の中にあるのは「置いていかれたくない」「変な人だと思われたくない」「ちゃんと知ってる側にいたい」みたいな、妙に社会的な気持ち。スキンケアって、自分のためのはずなのに、いつの間にか“ちゃんとしてる私”の証明みたいになってしまう。そういう構図に、私は弱い。
誰にも言わなかった本音はこれ。
――本当は、今の自分の肌がどうかより、私が“時代についていけてない”ってことの方が、ずっと怖かった。
この怖さって、肌が乾燥する怖さとは種類が違う。肌は保湿すれば一旦落ち着くかもしれないけど、情報の波に置いていかれる怖さは、保湿では治らない。しかも、治らないくせに、毎日ちょっとずつ増える。今日だって、昼休みのたった数分で、私は“知らない自分”を見つけてしまった。
それに、こういうときって不思議で、周りの人は別に何も言ってないのに、勝手に自分の中で採点が始まる。「最近のトレンド知ってますか?」なんて聞かれてないのに、私は勝手に「いいえ」を出して勝手に落ち込む。冷静に考えたら、誰も私の美容知識のテストなんてしてないのにね。自意識って、ほんと、やっかい。

ふたつ目の揺れ:ニュースと広告の境目が、薄い日
午後、仕事の隙間で、またそのニュースを思い出してしまった。PR TIMESのリリースでは、2月1日発売の部分用セラムが紹介されていて、「目元・口元に集中アプローチ」とか、なんだか私の“気になるところ”をピンポイントで狙ってくる言葉が並んでいた。 もう、文章が上手い。上手すぎる。読んでいるだけで、私の目元が少し柔らかくなった気がする(気のせい)。
さらに別のタブで、Yahoo!の記事として配信されている“ツヤが続く下地レビュー”みたいな記事も目に入って、私は一瞬で「今の私、ツヤ足りてないかも」と思ってしまった。 こういう瞬間が、ちょっと怖い。ニュースを読んでいるつもりなのに、いつの間にか“自分の欠け”を探してる。欠けを探し当てたら、次は埋めたくなる。埋める方法は、だいたい「買う」しか提示されない。もちろん、買うこと自体が悪いんじゃない。でも「買う」以外の道が見えなくなると、呼吸が浅くなる。
そのとき私は、別の自分も見ていた。
「これを買えば、ちゃんとしてる側に戻れるかも」って、思ってしまう自分。
それは、肌の問題というより、“立場”の問題みたいだった。
私は一人暮らしで、毎日が「自分の管理」でできている。起きる時間も、食べるものも、部屋の温度も、全部、私の責任。だからこそ、どこかが崩れそうになると、何かひとつを“良い方向に管理する”ことで、気持ちを立て直そうとする。スキンケアはその代表選手だ。わかりやすいし、手触りが変わるし、変化が目に見える(気がする)。それに、誰にも迷惑をかけない。だから、つい、頼ってしまう。
でも今日の私は、そこで一歩止まった。止まれた理由は単純で、財布の中身が現実だったから。来月のカード請求の予定を思い出して、「いや、今は違う」と、たぶん小さな声で自分に言った。私はたまに、こういうときだけ現実的になる。もっと普段から現実的であれ。
帰り道、駅ナカのドラッグストアの前を通ったときも、同じ圧を感じた。入口近くに並ぶポップは、私の生活よりずっと元気で、どの文字も「今なら間に合う」「今が正解」って言っている気がした。テスターの前で立ち止まる人たちの横顔を見ていると、みんな“自分の未来”を少しずつ買い足しているみたいで、私は一瞬だけ、置いていかれる側の人間になった気がした。
私はその前を、目を合わせないようにすり抜けたくせに、二歩進んだところで立ち止まってしまった。たぶん、買いたかったんじゃない。買わない自分を確認したかっただけ。今日は踏みとどまれる、って自分に証明したかっただけ。結局、何も買わずに店を出たのに、手のひらだけが妙に熱くて、レジ袋の音がしないことに、ちょっとだけ物足りなさを感じてしまった。節約の勝利って、静かすぎて、拍手がない。
こういうとき、私は“正しいことをしたのに落ち込む”という、よく分からない状態になる。誰にも褒められないから? それとも、買い物で埋めるはずだった穴が、埋まらないまま残ったから? たぶん両方で、だから少し、笑ってしまう。私、今日も自分の心の穴の管理が下手。
それともうひとつ、心のどこかで、こう思っていた。
“今の私は、肌を整えたいんじゃなくて、焦りを静かにしたいだけなんじゃない?”って。
焦りの鎮静剤を、スキンケア棚に探しに行くのって、ちょっと切ない。けど、切ないからこそ、私はやる。やってしまう。

みっつ目の気づき:肌の“バリア”より、心の“余白”が足りない

夜、帰宅して、部屋のドアを閉めた瞬間、やっと肩が下がった。暖房を入れて、湯たんぽを抱えて、鏡の前で洗顔する。ここまではいつも通り。だけど今日は、スキンケアをしながら、ずっと昼の自分の「恥ずかしさ」を思い出していた。知らない単語に焦って、検索して、ついていこうとして、結局疲れてしまったあの感じ。
そこで、すごく小さな違和感に気づいた。
私、肌に何かを足したいんじゃなくて、心に“余白”を足したいだけかもしれない、って。
新成分や新商品って、もちろんワクワクする。だけど、ワクワクの裏に「知らないと置いていかれる」「持ってないと遅れてる」みたいな圧が混ざると、途端にしんどくなる。私はたぶん、その圧を“向上心”と勘違いしてきた。向上心って言えば、健やかに聞こえるから。
今日、私がいちばん驚いたのは、PDRNという単語そのものじゃなくて、それを知らない自分を“恥ずかしい”と思ったことだった。恥ずかしいって、誰かに笑われたときの感情のはずなのに、今日の私は、自分で自分を笑ってた。外の誰も何も言ってないのに、私の頭の中だけで「遅れてるね」って声が鳴る。これって、ちょっとした自己攻撃だと思う。
読者のあなたも、きっとあるよね。
気づいたら、何かを調べて、何かを買う方向に心が流れていて、でも本当は、買いたいんじゃなくて、不安を静かにしたいだけ、っていう夜。――「わかる…」って、言ってくれる人がいたら、今日はそれだけで救われる。
今日の私は、最後にひとつだけ、ルールを作った。
“知らない単語を見つけても、すぐに追いかけない”。
一晩寝かせて、それでも気になるなら調べる。今夜の私に必要なのは、成分より先に、呼吸の深さだと思ったから。
それでも、明日になったらまたスクロールして、また新しい言葉に出会って、また小さく焦るかもしれない。そういう自分を「またか」と笑ってしまうかもしれない。でも、今日の私は今日の分だけ、置いていかれる怖さを“買い物”で埋めなかった。それは、すごく地味だけど、私の中ではわりと大きい。
…ところで、私たちはいつから、スキンケアのニュースに「安心」を求めるようになったんだろう。肌のためのはずの時間が、心の不安の避難場所になっているとしたら、あなたは今夜、何をひとつ減らして、何をひとつ増やしたい?




