前髪はいつも通りなのに、なぜか疲れて見えた朝に髪を疑った理由

老け見えも若見えも髪次第?
朝、洗面所の電気がいつもより白く感じた。冬の乾いた空気で、鏡の表面が少し曇っていて、息を吐くたびに薄い膜ができては消える。出勤前の5分って、なんであんなに秒針が速いんだろう。
コーヒーの香りがまだ部屋に残っていて、足元のスリッパがほんのり温かい。そんな日常の「いつも通り」の中で、私は髪の毛だけを、やけに他人事みたいに見つめていた。
肌は…まあ、いつも通り。寝不足のわりに、なんとか。
なのに、髪が「今日は私を裏切る日です」みたいな顔をしている。
一本一本が軽く反抗して、まとまる気配がない。毛先は乾いたほうきみたいで、頭頂部だけ、妙にぺたんこ。前髪は、昨日の夜に「明日はちゃんとするから」と約束したはずなのに、今朝になって急に知らない人みたいに散っている。
不思議なんだけど、髪が決まらない日って、顔の輪郭までぼやけて見える。
「私、こんなに疲れてたっけ?」って、鏡の中の自分に聞きたくなる。
たぶん、答えは髪の中にしかない。
「老け見えも若見えも髪次第」って、どこかで見た。
正直、そういう言葉は、刺さる。刺さるのに、ちょっと腹が立つ。
だって、私だって毎日頑張ってる。洗って、乾かして、たまにトリートメントして、アイロンの温度も気にして。
なのに、たった数本の浮き毛とか、分け目の白い線みたいな地肌の見え方とか、ツヤの有無とかで、年齢まで勝手に決められるなんて。
それでも、髪のツヤが「見た目の印象」を変えるのは、理屈としてはわかる。
キューティクルが荒れると光がきれいに反射せず、いわゆる“天使の輪”がぼやける、という話は、企業のヘアケア解説でも説明されていた。
つまり、ツヤって「光の当たり方」なんだ。髪の毛そのものが突然若返るわけじゃなくて、光が整列して返ってくるかどうか。
…そう考えると、ちょっと救われる。私の年齢は、光学の問題かもしれない、みたいな。
でも今朝の私は、救われる前に急いでいた。
結局、ヘアオイルを1プッシュ足して、ドライヤーで表面だけ整えて、分け目を少しずらして、前髪をピンで留めて、強引に「整ってる風」を作った。
その瞬間だけ、鏡の私が少しマシに見える。
不思議だよね。髪が整うと、心まで小さく整った気がする。
うまくいかなかった朝の「髪のせいにしたい気持ち」

今日のモヤっとは、髪そのものより、髪に全部を背負わせたくなる自分にあった。
肌の調子が微妙でも、「まあ寝不足だし」で済ませられるのに、髪が微妙だと「終わった」になる。
この差は何なんだろう。
髪って、顔の額縁みたいなものだから…と言われる。
でも私にとっては、それ以上に「社会に出るための許可証」みたいな役割がある気がする。
きちんとセットされた髪=ちゃんとしてる人。
パサついた髪=生活が荒れてる人。
そんな短絡的な連想が、世の中にも、私の中にも、こびりついてる。
最近読んだコラムで、「ヘアセットあり」の写真だと、人は前髪や顔を見る時間が長くなる、という視線追跡の結果が紹介されていた。
つまり、髪が整うと、相手の視線は髪全体よりも“顔”に戻ってくる。
逆に言えば、髪が乱れていると、視線は髪の乱れに引っ張られて、顔がきちんと届かない。
それって、なんか…私の気持ちと同じだ。髪が荒れると、私は自分の顔の表情より、毛先の暴れに意識を持っていかれる。顔の中の私が見えなくなる。
「老け見え」って、シワとかほうれい線とか、そういう話だと思ってた。
でも実際は、髪の“質感”のほうが先に、疲れや年齢感を連れてくることもあるらしい。
ツヤやまとまりが失われると実年齢以上に見える、という美容室のブログにも書かれていた。
これ、すごく嫌なんだけど、すごく納得してしまう。
だって、顔って、多少コンシーラーで誤魔化せる。でも髪の質感は、誤魔化しが難しい。
アイロンで一瞬ツヤが出ても、湿気で戻る。
オイルで落ち着かせても、午後には重くなる。
努力が「一日もたない」感じが、いちばん心にくる。
今日の私は、まさにそれだった。
朝はなんとか取り繕ったのに、駅のホームの風で前髪が跳ねて、会社のトイレの鏡で見たら、分け目が思ったより白かった。
「白髪が増えた?」じゃなくて、「分け目って、こんなに地肌が見えるんだっけ?」のほう。
地肌が見えるだけで、急に老けたような気がしてしまうのって、単純すぎるのに止められない。
分け目の白髪が目立つ理由は、そこが地肌ごと見える場所で、黒髪とのコントラストが強いから、と説明している記事があった。
理屈は正しい。
でも、理屈が正しいほど、気持ちは置き去りになる。
「だから目立つんですよ」って言われても、私は「目立たないでほしいんですよ」しか返せない。
それに、白髪だけじゃない。
髪の色そのものが、なんとなく濁った気がする日がある。
ツヤがない髪は疲れて見える、見た目年齢が上がる、という説明も見かけた。
そういう情報を読むたびに、私は自分の髪を“点数”で見てしまう。
ツヤ:△
まとまり:×
ボリューム:△
…みたいに。
そして点数が低い日は、そのまま自己評価も下がっていく。
本当は、髪はただの髪なのにね。
生えてくる場所が頭で、目立つ場所にあるから、人生のあれこれを背負わされがち。
私が今日いちばんモヤっとしたのは、同僚に「今日、なんか大人っぽいね」って言われたことだった。
褒め言葉なのはわかる。
でも、心のどこかで、「それ、老けてるってこと?」って疑ってしまった。
自分で自分を疑う癖って、ほんと厄介。
その言葉を言われた瞬間、私の意識は髪の表面に吸い寄せられた。
オイルをつけすぎて、重く見えてない?
トップがぺたんこで、頭が小さく見えてない?(小さいならいいけど、違う意味で)
前髪の隙間が、疲れ顔を強調してない?
頭の中で、ひとり反省会が始まる。
“前髪で印象が変わる”っていう話はよく聞く。
ただ、前髪があれば若く見えるわけでも、なければ大人っぽいわけでもなくて、形や量や長さで逆効果になることもある、と美容師さんの解説記事にあった。
この「どっちでもない」感じが、現実だ。
私は今日、どっちだったんだろう。大人っぽいのか、疲れて見えたのか。
たぶん、両方。たぶん、どちらでもない。
私は髪で「年齢」を守っているのか、隠しているのか
家に帰って、コートを脱いで、鏡の前に立った。
朝よりも、髪がさらに広がっていた。
電車の暖房と外の冷気を行ったり来たりした髪は、もう言うことを聞かない。
私はため息をついて、髪を結んだ。
結んだ瞬間だけ、全部が片付いた気がした。
“清潔”とか“ちゃんとしてる”とか“若々しい”とか、そういう言葉が、髪の後ろに押し込められていく感じ。
でも、その一瞬の安心が、私は少し怖い。
髪を結んだだけで安心するってことは、私は髪に、外からの評価を預けすぎている。
私の「若さ」って、髪のツヤのことだったっけ。
私の「老けたくない」って、髪の分け目のことだったっけ。
髪のことを調べれば調べるほど、ちゃんと理由が出てくる。
キューティクル、水分量、静電気、摩擦、紫外線、頭皮環境。
“ケアすれば変わる”という希望も、ちゃんと書いてある。
たとえば、ブラッシングが頭皮を刺激して皮脂が髪に行き渡りツヤにつながる、静電気の少ないブラシが良い、みたいな話。
あと、分け目の白髪は1dayタイプのカバー用品でメイク感覚で隠せる、という提案もある。
情報としては、ありがたい。
それなのに、私のモヤっとは消えない。
たぶん私は、髪を「整える方法」より、髪を「気にしすぎる心」のほうが問題なんじゃないかと思ってしまうから。
髪がきれいな日って、世界が優しい。
コンビニの店員さんの「ありがとうございました」まで、なんとなく丁寧に聞こえる。
逆に髪が荒れている日は、世界の視線が鋭い気がする。
…そんなわけないのに。
世界はいつも同じはずなのに、私の受け取り方が変わる。
髪が、私の“受信機”を調整しているみたいに。
「老け見え」って言葉が怖いのは、年齢そのものが怖いからじゃない。
年齢が進むことは、当たり前だし、悪いことだけじゃない。
怖いのは、“老けて見える=雑に扱っていい人”みたいな空気を、どこかで感じてしまうから。
若く見えることが価値、っていうルールの中で、髪は簡単に“点数”をつけられてしまう。
そして私は、その点数表を、自分の手で握ってしまっている。
じゃあ、どうしたらいい?
…って、ここで答えを出したくなる。
でも、今日は答えを出したくない。
だって、答えを出した瞬間、私はまた「正しい髪」「正しい私」を探し始める気がするから。
たぶん、必要なのは、髪を完璧にすることじゃなくて、髪が完璧じゃない日でも、ちゃんと外に出られる自分を作ること。
それでも、明日の朝、私はまた鏡の前で髪を見て、少しだけ揺れると思う。
「今日はどっちに見えるかな」って。
髪は、私の年齢を決めるものじゃない。
でも、私の気分を決める力は、たしかにある。
その力を、私はこれからも手放せない気がする。
手放せないまま、うまく付き合っていくしかないのかもしれない。
夜、シャンプーの泡を流しながら、今日の朝の自分を思い出した。
焦って、取り繕って、駅の風に負けて、トイレの鏡で落ち込んで。
それでも一日を終えた。
髪に振り回されながら、ちゃんと働いて、ちゃんと帰ってきた。
それって、地味だけど、えらい。
ドライヤーの音の中で、髪が少しずつ乾いていく。
熱風に揺れる毛先を見ながら、私は思う。
老け見えも若見えも、たしかに髪次第なのかもしれない。
でも、その「次第」の中に、私の弱さも、今日の頑張りも、全部混ざっている気がする。
明日の朝、鏡の曇りが消える前に、また私は髪を見つめる。
そのときの私は、今日より少しだけ優しくなれているだろうか。




