2月の乾燥、保湿しても顔だけ砂漠な理由

二月の朝って、光がちょっとだけ硬い。カーテンの隙間から差し込む白っぽい光が、部屋の埃をやたら正直に浮かび上がらせて、ああ、今日もちゃんと生きてる人の部屋じゃないなって思う。
暖房は昨夜からつけっぱなしで、喉の奥が少しだけカラッとしている。起き抜けに白湯を飲んで、スマホを見て、意味のない通知を消して、鏡の前に立った瞬間、私は小さく「うそでしょ」と声に出してしまった。
顔だけ、砂漠だった。
頬が粉をふいて、口角のあたりがひび割れ予備軍みたいに白い。昨夜、ちゃんと保湿したはずなのに。パックもしてないし、特別なことはしてないけど、いつもの“ちゃんと”はやった。なのに、顔だけが、部屋の湿度を一人で引き受けて死んでいる。
その瞬間、よくある「冬は乾燥するよね」で済ませたくない自分がいた。いつもなら、原因を探して、対策を考えて、買うものを決めて、気持ちを回収して終わらせる。でも今日は違った。どちらかというと、乾燥そのものよりも、乾燥を見たときの自分の反応のほうが、気持ち悪いくらいはっきりしていた。
私、顔が砂漠だと、「生活がだらしない人」みたいに見える気がして、急に恥ずかしくなる。
肌のことじゃなくて、“人としての信用”の話みたいに思ってしまう。誰に言うわけでもないのに。
乾燥の原因が、肌じゃなくて空気だったら
原因を知りたい気持ちは、たぶん防衛本能。砂漠な頬を前にすると、私は「ほら、私が悪いんじゃない」と言える理由を探す。
二月の乾燥は、気温が低いだけじゃなくて、空気そのものの水分が少なくなる季節で、さらに暖房を入れると室内の相対湿度がぐっと下がりやすい。乾いた空気は、目に見えないのに、ちゃんと奪っていく。喉の水分も、髪の潤いも、そして顔の表面の水分も。
でもね、こういう“正しそうな理由”を並べると、安心する反面、私の心のどこかが白ける。だって、乾燥を感じるのは毎年なのに、今年だけやたら刺さる。
しかも、体の他の部分はそこまで気にならないのに、顔だけが砂漠って、なんだか不公平で、私だけが晒されている感じがする。
今日の小さな出来事は、ここからだった。
出社前、いつもの駅までの道を歩いていると、マスクの内側が息で少しだけ温かくなる。その“ぬるい湿り気”が、頬に触れるたびに、少しだけ安心する自分がいた。
え、私、マスクの中の湿度に救われてる? って。マスクって苦しいだけじゃなくて、私の顔にだけ、小さな温室を作ってくれることがあるんだ、と気づいてしまった。
それで思った。
私、乾燥してる顔を守りたいんじゃなくて、「乾燥している顔を見られたくない」んだ。
“顔”って、いちばん外側の自分だった
会社のトイレの鏡って、やたら冷たい。照明が白くて、肌の粗が全部“報告書”みたいに浮かび上がる。私はそこで、ポーチからリップを出して塗り直して、頬をそっと指で押してみた。
カサつきが引っかかる。うわ、やっぱり砂漠。ここで不思議なことが起きる。私は乾燥を見つけた瞬間から、今日一日の自分の評価を下げ始める。
「ちゃんとしてない」
「寝不足っぽい」
「疲れてる人に見える」
「余裕なさそう」
全部、誰にも言われてない。言われてないのに、私が私に言っている。
この自己査定の早さが、ちょっと怖い。
顔って、ただの皮膚じゃなくて、私が社会に差し出している“表紙”みたいなものなんだと思う。表紙が乾いてると、中身まで雑に見える気がして、慌ててしまう。しかも顔は、隠せない。
服なら選べるし、髪なら結べる。声なら誤魔化せる。だけど顔は、基本ずっと出てる。誰かとすれ違うだけで、会話しなくても、顔は私の代わりに「今の私」を配布してしまう。
だから私は、顔の砂漠を見た瞬間、生活全体が砂漠だとバレる気がして、恥ずかしくなる。
この感情、たぶん今までブログであまり触れてこなかった。
だって、乾燥を語るときって、どうしても“ケア”とか“改善”とか、明るい方向に持っていきたくなる。でも本当は、乾燥がつらい理由って、痛いからだけじゃない。見た目が気になるからだけでもない。「私って、ちゃんとしてる人に見えてるかな」という、他人の目に住みついている不安が、乾燥を増幅させる。
わかる…って、言ってもらえたら、たぶん救われるやつ。
「乾燥してるだけで、今日の自分が雑に見える気がして焦る」ってやつ。
砂漠を作っていたのは、私の“急ぎ方”だった

昼休み、席でお弁当を食べながら、私は自分の頬を触らないようにしていた。触ると余計に気になるし、気になると触るし、触るとまた気になる。無限ループ。だから触らない。
そのかわり、心の中でずっと頬のことを考えていた。今日は仕事がそこそこ忙しくて、作業の合間に頭の中がピリピリしていたのもある。タスクが詰まっていると、私は呼吸が浅くなる。気づくと肩が上がって、目が乾いて、瞬きが減って、顔の筋肉が固まっている。
そのとき、ふっと思った。
保湿しても砂漠って、もしかして“塗り方”じゃなくて、“生き方のテンポ”の問題なんじゃない?
もちろん、乾燥には、空気の乾き、摩擦、洗いすぎ、体調、睡眠、ストレスみたいにいろんな要素が絡む。でも今日、私がいちばん感じたのは、顔の砂漠が、私の「急いでる感じ」をそのまま表面化させているみたいだということだった。心が急ぐと、顔も急ぐ。顔が急ぐと、乾く。科学的に正しいかどうかは置いておいて、感覚として、そう思った。
午後、会議のあとに上司に呼ばれて、ちょっとした確認をされた。何も怒られたわけじゃないのに、私は勝手に緊張して、頬の砂漠がさらに目立つ気がした。
顔って、感情の受信機なんだなと思う。緊張すると血の気が引くし、笑うと頬が上がるし、疲れると口角が落ちる。乾燥も同じで、私の内側のざわざわが、表面のカサつきに変換されているように見えてしまう。
そして、ここで“誰にも言わなかった本音”が出てきた。
私は、乾燥が嫌なんじゃない。
「余裕のない私」がバレるのが嫌なんだ。
余裕がないって、悪いことじゃないのに。むしろ、余裕なんて毎日あるほうがおかしいのに。なのに私は、余裕のなさを隠したくなる。隠すために、表面を整えたくなる。表面が整わないと、焦る。焦ると、さらに余裕がなくなる。砂漠の連鎖。
これ、スキンケアの話じゃなくて、私の見栄の話だった。
帰り道、コンビニに寄って、レジ横の小さい加湿器を見かけた。安い、可愛い、でも要らない。そう思って通り過ぎたのに、二歩戻った。買わなかったけど、戻った自分が面白かった。私は物が欲しかったんじゃなくて、「これで部屋が潤うよ」っていう約束が欲しかったんだと思う。
そういえば今日、駅のホームでふと隣に立った女性が、ポケットから小さいハンドクリームを出して手に塗っていた。私はその仕草を見て、「えらいな」と思ったあとで、すぐ自分にツッコミを入れた。手に塗っただけでえらいって何。私の基準が、乾いた空気と一緒に下がってる。
でも、その“えらいな”の中には、羨ましさも少し混ざっていた。自分の体を、ちゃんと扱ってる人に見えたから。私は今日、自分の顔を「整えなきゃ」って焦りながら、実は自分のことを雑に扱っていたのかもしれない。雑に扱うって、別に乱暴にすることじゃなくて、気づいてるのに放置すること。わかってるのに、急いでるから後回しにすること。
顔の砂漠は、そういう後回しの“しわ寄せ”を、一番目立つ場所で引き受けてくれていたのかもしれない。ありがたい…とは言えないけど、正直、ちょっとだけ健気だとも思った。
家に着いて、コートを脱いで、部屋の空気の乾きが一気に体にまとわりつく。暖房の匂い、乾いた布、静電気で髪が顔に張り付く感じ。私は観念して、まず窓を少しだけ開けた。冬に窓を開けるって、ちょっと損した気分になる。でも空気を入れ替えると、乾いた部屋の匂いが薄くなって、少しだけ落ち着いた。
そのあと、洗面所で顔を洗って、いつものように最低限の手入れをして、寝る前にマグカップで温かいお茶を飲んだ。ここで、ささやかな変化が起きた。私は鏡を見て、「砂漠を直そう」とは思わなかった。代わりに、こう思った。
「今日、私はずっと急いでた。顔が乾いたのは、急いでた証拠かもしれない。なら、今は少しだけ、遅くしていい。」
潤いって、成分の話だけじゃなくて、守られてる感の話なのかもしれない。
部屋の湿度とか、マスクの中の温室とか、湯気とか、お茶とか、誰かの「大丈夫?」とか。そういう“守られてる感じ”があると、人は乾きにくい気がする。逆に言えば、守られてないと思うと、顔だけ砂漠になる。
だから今日の違和感は、乾燥そのものじゃなくて、「私、守られてない気がしてたんだな」という気づきだった。仕事のこと、将来のこと、人間関係の微妙な距離、自分磨きの終わらなさ。全部、私の中で小さく積もって、気づかないうちに“急ぎ”に変換されていたのかもしれない。
こんなこと、誰にも言わない。
乾燥してるって言えば済むのに、守られてない気がするって言うと、急に面倒な人みたいだから。
でも、たぶん同世代の誰かは、同じように感じてる。
頑張ってないわけじゃないのに、ちゃんとしてないように見える日があって、鏡の前で一人で減点して、ため息をつく夜がある。わかる…って、言いたくなるやつ。
最後に、今夜の私から小さな問いかけを置いておく。
保湿しても顔だけ砂漠になる日に、あなたは「肌のせい」にしますか、それとも「最近ちょっと急いでたかも」って、自分のテンポのほうを疑ってみますか。
どっちが正しいとかじゃなくて、ただ、明日の朝の鏡の前で、自分を減点しすぎないための、別の見方が一つ増えたらいいなと思う。






