排水口の髪の毛を見て、わたしは「励まし方」を失敗した気がした

今朝は、まだ外が白っぽい時間に目が覚めて、暖房の風が当たる場所だけが不自然にあたたかい部屋で、毛布の端を指でつまみながらぼーっとしていました。窓の外は冬のくすんだ青で、天気予報は晴れと言っていたけれど、わたしの気分は「晴れ」よりも「乾燥注意報」に近い。髪の毛も、肌も、心も。
コーヒーを淹れて、マグを両手で包んで、今日はとりあえずシャワーを浴びてから考えよう、と決めたんです。考え事をしているときほど、まず水に当たりたくなるのって、ちょっと逃げ癖みたいで笑えます。
シャワーの途中、ふと排水口のあたりに目がいって、髪の毛が想像以上に溜まっているのが見えました。わたし自身は産後ではないのに、なぜか今日に限って、昨日会った友達の顔が浮かんだんです。出産して数ヶ月、久しぶりに会った彼女は「最近ほんと抜けるの、笑っちゃう」と冗談みたいに言いながら、前髪のあたりを無意識に触っていて。わたしは「大丈夫だよ、すぐ戻るって」と軽く返した。
でも、排水口の髪の毛を見た瞬間、その返しが急に薄っぺらく感じて、胸の奥がきゅっと小さく鳴りました。励ましたつもりだったのに、わたしは何を「大丈夫」にしたかったんだろう、って。
誰にも言わなかった本音を白状すると、あのとき一瞬だけ、「そのくらいで済むならいいじゃん」と思ってしまったんです。彼女の大変さを知らないわけじゃないのに、産後の体も、睡眠不足も、育児の孤独も、分かるふりはできないのに。わたしはわたしで、仕事のことや将来のことや、人間関係の微妙な空気で疲れていて、「抜け毛」という目に見える悩みが、ちょっと羨ましくも見えた。
…最低だな、って自分で思いました。だけど、そういう汚い感情って、夜より朝に出てくることがある。寝不足の脳が、正直を履き違える感じ。
そして同時に、もうひとつ本音があった。
「髪が抜けること」そのものよりも、「抜けていく自分を、誰かに見られること」が怖いんだろうな、って。わたしは髪を“整えればなんとかなる”と思っているタイプで、逆に言うと髪が乱れていると、生活も心も乱れているってバレる気がしてしまう。
わかる…って思った人、きっといるはず。髪って、なんか、メンタルの体温計みたいなときがありますよね。
「髪」と「頭皮」は別の生き物だと知って、言葉の選び方が変わった
そのあと、湯気の残る洗面所でドライヤーを当てながら、昨日の会話が何度も再生されました。わたしが言った「すぐ戻るって」って、本当にそうなの? と思って、ちゃんと調べてみたんです。
産後の抜け毛は、医学的には“産後脱毛”や“分娩後の休止期脱毛(テロゲン・エフルビウム)”と呼ばれることが多くて、妊娠中に増えていたエストロゲンが出産後に急に下がることで、休止期に入る毛が一気に増えて、数ヶ月遅れて抜ける、という流れがあるそうです。つまり「髪が弱くなって抜ける」というより、「タイミングが揃って抜ける」。アメリカ皮膚科学会も“これは本当の脱毛ではなく、過剰な抜け毛(shedding)”として説明しています。
起きやすい時期は産後2〜4ヶ月頃と言われることが多く、ピークもそのあたりに来ることがある。
そして多くの場合、時間とともに落ち着いて、髪の量は元に戻っていく。ジョンズ・ホプキンス・メディスンの解説では「多くの人で産後6〜12ヶ月くらいで終わる」とされています。
ここまで読んだら、昨日のわたしの「すぐ戻るって」は、完全に嘘ではない。だけど、あの一言には“時間の長さ”が入っていなかった。数ヶ月って、赤ちゃんのいる生活だと、体感が一年くらいあるじゃないですか。わたしはそこで、急に彼女の「笑っちゃう」という言葉の裏に、途方もない疲れを見た気がしました。
「戻るよ」じゃなくて、「戻るまでの間、どうやって毎日をやり過ごす?」って話だったんだよね。
それともうひとつ、当たり前なのに見落としがちだったこと。
髪の“ダメージ”って、毛先のパサつきや切れ毛みたいに見える部分の話になりやすいけど、産後抜け毛の不安って、根元=頭皮の出来事が中心になる。毛先のトリートメントでなんとかしようとしても、気持ちが追いつかないのは当然で、話すべき相手は髪じゃなくて頭皮、そしてその人の生活そのものなんだなと気づきました。
ダメージケアを「頑張ること」にしない、という小さな反抗
調べたついでに、テロゲン・エフルビウムそのものは一時的なことが多い一方で、抜け毛が長引いたり、部分的に禿げたように見える場合、また甲状腺の問題など別の原因が隠れていることもある、という注意も出てきました。メイヨークリニックも、妊娠・出産などのホルモン変化や甲状腺の問題が脱毛に関わることがあると書いています。
「産後だから仕方ない」で片づけるのは優しさじゃなくて、ただの放置になることもある。ここ、わたしは昨日の自分に言い聞かせました。
とはいえ、毎日が手一杯な人に「病院行ってね」「睡眠とってね」って言うのは簡単で、言われた側は多分、胸の奥で静かに舌打ちする。だって、できないから困っているわけで。
だから、わたしが今日選んだのは、アドバイスじゃなくて“負担を増やさないダメージケア”を自分で試すことでした。自分のためでもあるし、いつか彼女に「これなら増えないよ」と渡せる具体を持ちたかった。
たとえば、髪を乾かすとき。ドライヤーの熱で毛先がパサつくのが怖くて、前は必要以上に「守ってる感」を作っていたんだけど、今日はやめました。代わりに、タオルでゴシゴシしない、頭皮をこすりすぎない、熱風を一点に当て続けない、という“手の動き”だけを丁寧にした。
ダメージケアって、足し算じゃなくて、引き算のほうが効くことがあるんですね。わたし、こういうのすごく苦手で、つい「何かを足して解決」したがるのに。
あと、地味だけど効くのは「結ぶ強さ」。髪をきつく結ぶと頭皮に負担がかかりやすい、というのは産後に限らず、皮膚科の注意としてもよく出てきます。
わたしは家の中でも、無意識にきゅっと結んでしまう癖があって、それは「だらしない自分を隠したい」気持ちの表れだったりするから、ほどくのがちょっと怖い。
でも今日は、ほどいてみた。髪が落ちてくる感じが、思ったより「無防備」で、でも少しだけ、呼吸がしやすかった。
「頭皮の元気」は、自己管理じゃなくて生活の余白で決まる気がした

夕方、友達に「昨日、変な返事しちゃったかも」とメッセージを打とうとして、指が止まりました。謝りたいわけでも、正解の言葉を言いたいわけでもなくて、ただ、彼女の“そのまま”を置いておける場所になりたかった。
でも、いい人ぶってるみたいで嫌で、送れずに、またスマホを伏せた。わたし、こういうところがいちいち面倒くさいです。
そのかわり、今日調べたことの中で、いちばん「生活」に近いところだけをメモしました。
・産後の抜け毛は、たいてい産後2〜4ヶ月頃から増えやすい(びっくりするけど珍しくない)
・多くは時間とともに落ち着いて、6〜12ヶ月で戻ることが多い
・ただ、部分的に抜ける/長引く/かゆみや痛みが強いなどは別の原因もあるから、医療者に相談したほうがいい場合がある
これって、知識としては「ふーん」なんだけど、彼女にとっては、毎朝の鏡の前で起こる小さな事件の連続なんだと思う。排水口の髪の毛を見て、ため息をついて、でも赤ちゃんが泣けばそれどころじゃなくて、気づいたら次の日になっている。
頭皮の元気って、努力の量じゃなくて、生活の余白の量で決まってしまうところがある。余白がないときに「ちゃんとケアして」って言われる残酷さを、わたしはやっと想像できた気がします。
そして、わたしに起きた“ささやかな変化”は、意外にも髪そのものじゃなくて、言葉の出し方でした。
「大丈夫だよ」って、相手を軽くする言葉のようで、実は自分の不安を沈める言葉でもある。昨日のわたしは、彼女の不安より、自分の不安を先に片づけたかったんだと思う。
だから次に会ったら、たぶんこう言う。「抜けるの、怖いよね。今日も排水口でびっくりした?」って。正解じゃなくてもいいから、現場の話を一緒にしてみたい。
夜、部屋の明かりを少し落として、髪をとかして、頭皮を指の腹でそっと触りました。ケアというより、点呼みたいに。
明日もたぶん、仕事のことや将来のことや、人間関係のことで、わたしはまた眉間にしわを寄せるだろうし、友達のことを思い出して勝手に胸を痛めるだろうし、結局メッセージも送れないかもしれない。
それでも、排水口の髪の毛を見たときに「見なかったこと」にしない自分でいたい。見てしまったなら、見たままの気持ちに、少しだけ近づきたい。
たぶん答えはすぐ出ないし、出なくていい。髪の毛一本みたいに細い違和感を、今日だけは見落とさずに持っておきたいと思いました。
ねえ、あなたは最近、髪の悩みを“見なかったこと”にした瞬間、ありませんか。そういうとき、本当は何を怖がっていたんだろうね。





