ひとつ減らすだけで、呼吸が戻る夜

今夜は、帰り道の空気が妙に湿っていて、駅から自宅までの数分がやけに長く感じた。コートの襟元に冷たい風が入るたびに、身体の中の電池が「もう残量ありません」と小さく点滅しているみたいで、エレベーターに乗った瞬間、無意識にため息が出た。
ポストを開けると、マンションの管理会社からの紙が一枚。内容はよくある注意喚起で、「深夜の生活音にご配慮ください」という、どこにでも貼られていそうな文章だった。
誰に向けてなのか、何があったのか、具体的なことは書かれていないのに、私はなぜか自分の名前を呼ばれた気がした。こういうときの私の悪い癖は、証拠がなくても先に罪悪感だけが走ることだと思う。
「私、そんなにうるさかったっけ」
玄関で靴を脱ぎながら、今日いちばん大きな声を出したのが自分の心の中だってことに気づく。誰にも言っていないのに、勝手に反省会が始まっている。こういう反省会は、だいたい夜に強い。
深夜の“音”って、目に見えないのに刺さる
私は一人暮らしを始めてから、生活音に対して妙に敏感になった。自分の出す音に対しても、他人の出す音に対しても。たとえば、上の階の人の椅子を引く音にイラッとした翌日、私は自分の椅子の脚にフェルトを貼り替えている。誰も頼んでいないのに、勝手に償いみたいな行動をしてしまう。
今日の「深夜の生活音」も、誰が何をしたか分からない。だけど、帰宅が遅い日、私はシャワーの時間がどうしても遅くなる。ドライヤーだって、できれば早く済ませたい。でも、早く済ませたいほど、雑になって、余計に時間がかかる。急いでいるときの私は、いつも自分に足を引っ張られる。
そして今夜の本音は、たぶんこれだった。
「迷惑をかけたくないんじゃなくて、“迷惑をかけてる人”だと思われたくない」
言葉にすると、ちょっと情けない。ちゃんとした大人のふりをしていたい、みたいな、見えない面子。誰も私のことなんて気にしていないかもしれないのに、管理会社の紙一枚で、私は生活を小さく折りたたみたくなってしまう。
風呂場で、やることが多いほど焦る

そんな日こそ、髪を洗うのが面倒になる。これは美容の話というより、私の生活の話で、風呂場は「やることリスト」が勝手に増殖する場所だと思っている。
シャンプーして、流して、コンディショナーして、流して、トリートメントもできれば…と考えているうちに、頭の中が渋滞していく。しかも、私は考えごとをしながら動くのが下手で、考えごとが増えるほど手が止まる。結果、長風呂になる。長風呂になると、あの紙の文字が頭をよぎって、また焦る。
だから最近、「手順を減らす」ことを、ちょっとずるい救命胴衣みたいに使っている。ちゃんと丁寧に暮らしたいのに、丁寧さって、工程の数と必ずしも比例しないのかもしれない。いや、比例してくれたら分かりやすいのに。
今夜、私が浴室の棚から手に取ったのは、「1本8役オールインワンケア」と書かれたクリームシャンプーだった。泡立てるタイプとは違う、泥(クレイ)とクリームの“新感覚”という表現がされていて、コンディショナーが不要だと説明されているもの。内容量は380gで、約1ヶ月分という目安も載っていた。忙しい毎日でも取り入れやすい時短ケア、という言い方も、正直、今の私に刺さる。
浴室に持ち込む前、私はキッチンの椅子に座って、楽天のページをしばらく眺めていた。お風呂に入る前なのに、髪の毛がまだ外の空気の匂いをまとっている状態で、スマホの光だけが顔を照らして、まるで深夜の取り調べみたいな雰囲気。
ページには「トリートメント不要」「オールインワン」「時短」という言葉が並んでいて、そこだけを読むと、生活が勝手に整っていくように錯覚する。でも、細かい説明を読んでいくと、ミネラルを含むクレイや海藻由来成分、植物オイルなどを配合していること、頭皮ケアも意識していることが紹介されていた。私は成分に詳しいわけじゃないけれど、「髪だけじゃなくて地肌にも、っていう発想」は、妙に納得がいった。表面を取り繕うより、根っこを落ち着かせるほうが先、みたいな。
ただ、そこでまた私の悪い癖が出る。
「これ、私にはもったいないんじゃない?」
誰に言われたわけでもないのに、勝手にそう思う。時間を短縮することに、贅沢さを感じてしまうのだと思う。頑張っていない自分に、便利なものを与えていいのか、とか。
たぶん私は、「しんどい」を正当化するために、わざと面倒な手順を抱え込むことがある。やることが多いほど、頑張っている気がして、誰にも見せない自分の中の点数が上がる。でも、その点数は夜になると急に無価値になる。点数を集めても眠気は消えないし、疲れは回復しない。
今日の小さな出来事――管理会社の紙――は、私のその癖を、少しだけ剥がした。『ちゃんとしなきゃ』の方向じゃなくて、『これ以上、背負わなくていい』の方向へ。
エレベーターで同じ階の人と乗り合わせたとき、私たちは挨拶だけして、あとは無言で、静かな箱の中を数秒共有した。たったそれだけのことなのに、私は降りる瞬間に「すみません」と言いそうになった。何に対しての“すみません”なのか自分でも分からないのに、反射で出てくる。たぶん私は、存在していること自体を少し申し訳なく感じる癖がある。
本当は、こういう“時短”とか“8役”とか、ちょっとだけ疑ってしまうタイプだ。だって、人生ってそんなに便利にまとめられないし、私自身も「一つで全部済む」って言われると、逆に不安になる。だけど、今日は、その疑いより先に、管理会社の紙が勝った。
“手順を減らす”は、逃げじゃなくて調整かもしれない

クリームシャンプーは、泡でわしゃわしゃする感じとは違って、頭皮と髪を撫でる時間が生まれる。泡立たない=洗えてない、みたいな思い込みが一瞬顔を出すけれど、私はその思い込みを、今夜だけは玄関に置いてきたことにする。
洗い流して、すぐ終わる。コンディショナーを探して、手に取って、また流す、という一連が消えるだけで、浴室の時間が驚くほど短くなる。たぶん、時間が短くなったのは実際の分数だけじゃなくて、頭の中の“次にやること”が減ったからだと思う。
「わかる…って言われたいからじゃないけど、やることが多いと、それだけで心が疲れるんだよね」
これ、読んでる誰かが一回でもうなずいてくれたら、私はちょっと救われる。
ドライヤーも、いつもより早く終わった。終わったというより、「早く終わらせられた」。その小さな違いが、今夜の私には大きかった。深夜の生活音を気にする気持ちは消えていないのに、呼吸だけは戻ってきた感じがした。
そして、気づいたのは、私が怖かったのは“音”そのものじゃなくて、「誰かの生活に、自分が入り込んでしまうこと」だったのかもしれないということ。壁が薄いとか、マンションだから仕方ないとか、そういう話じゃなくて、他人の見えない生活圏に、音という形で侵入してしまう感じ。逆に言うと、他人の音が私の生活に入ってくる感じ。それを、私はずっと「慣れ」だけで乗り切ろうとしていた。
だけど、慣れって、たまに急に折れる。今日は、紙一枚で折れた。
だから、私は工程を減らした。生活を小さく折りたたむんじゃなくて、夜の自分を守るために、いったん荷物を下ろした。1本で完結するって、なんだかずるいけど、ずるさって、時々人をちゃんとさせる。
もちろん、これで人生が整うわけじゃない。明日また帰りが遅くなったら、また罪悪感の反省会が始まるかもしれないし、上の階の椅子の音にイラッとする日もあると思う。私はたぶん、そういう人間だ。
ただ、今夜のささやかな変化は、「気になるなら、我慢じゃなくて調整していい」と思えたこと。誰かに許可をもらわなくても、自分が自分を扱いやすくするために、手順を減らしていい。頑張り方を増やすより、減らすほうが勇気がいる日もある。
部屋に戻ってから、私は玄関のスリッパを脱いで、いつもよりゆっくり歩いた。床がきしむ音を怖がっているというより、「怖がっている自分」をこれ以上増やしたくなかったのかもしれない。やさしく歩くって、本来は身体のための動きなのに、私は誰かのためにやさしく歩こうとしている。そういうズレが、静かな夜にだけ、くっきり見える。
ふと、浴室のドアの下に丸めたタオルを置いた。水の音や換気扇の振動が少しでも外に漏れにくいように、という理由をつけて。たぶん効果は微々たるものだし、そもそも私が原因かどうかも分からない。でも、そのタオルは『私が今できる範囲』を示す線引きになった。ここまでやったら、あとはもう知らない、という線。
知らない、って冷たい言葉みたいだけど、一人暮らしの夜には、たまに必要だと思う。全部を気にしていたら、眠れないから。
浴室の電気を消して、部屋に戻ったら、さっきの管理会社の紙がテーブルの上に置きっぱなしになっていた。私はそれを、すぐ捨てずに、裏返して、白い面を上にした。文字を見ないための、ささやかな工夫。
こういう工夫って、誰にも褒められないし、写真にも映えない。でも、私の生活は、たぶんこういう“地味な調整”でできている。
今日のあなたは、何か一つ、減らせそうなことがありますか。減らしたいのに、減らすのが怖いものって、意外と多いけど。
…たぶん、静かにするより先に、安心したいだけなんだと思う。今夜はそれで十分。おやすみ。ね






