「丁寧に暮らしたい」って言いながら、私は今日も“レジ前”で雑になる

今朝の空は、冬のくせに妙に明るくて、窓の外が白っぽく光って見えた。
暖房のスイッチを押して、まだ温まりきらない部屋の空気の中で、マグカップにお湯を注いで、いつものインスタントのコーヒーを溶かす。香りはちゃんとするのに、味は毎回「こんなんだっけ?」と思う。多分、私の舌じゃなくて、心が起きてない。
洗濯物を畳む気力はなくて、ソファの端に寄せたまま。
テーブルの上には、昨日のレシートと郵便物。封を切るのが面倒で、そのまま「後で」の山に紛れさせている。こういうのが積み重なると、なぜか自分の生活が“雑”に見えてきて、雑に見える生活は、私の気分まで雑にしてくるから不思議だ。
外に出る前、財布の中を確認して「ポイントカード、また増えたな」って思った。
増えたというより、増やしたんだよね。レジで勧められて、断るのが面倒で、つい「じゃあお願いします」って言ってしまう。なんであんなに、レジ前って判断力が弱くなるんだろう。あれは私だけじゃないはず。
出勤のために駅に向かう道は、冷たいのに、どこか年末の空気がある。
人がせかせかしてて、急に立ち止まったり、急に走り出したり、みんな忙しいのに、目的地が同じとは限らない感じ。私もその中に混ざって、頬に当たる風の痛さに「冬だな」と思うだけで、そこから先の思考が進まない。
そして今日、私の中でいちばん“雑さ”が出たのは、夜のコンビニだった。
仕事帰りに寄った、いつもと違う店舗。自動ドアが開く音が少し大きくて、床がやけにピカピカしていて、揚げ物の匂いがいつもより濃い気がした。棚の並びも微妙に違って、私はそれだけで少し落ち着かなくなる。ほんと、小さい人間だなと思う。
買うものは決まっていた。
卵、牛乳、豆腐。あと、明日の朝用にバナナ。
なのに、レジに並んだ瞬間、私は“余計なもの”を抱えていた。チョコの小袋、カフェラテ、そして、揚げ鶏。ああ、やってしまった。
ここで、今日の主題にしたいのは、私がこれまであんまり正面から書いてこなかった感情――**「断れない自分への、地味な嫌悪感」**だ。
大きなトラブルじゃない。誰かに迷惑をかけたわけでもない。
でも、こういう小さな瞬間に、私は自分の生活の“雑さ”を見つけて、勝手にしんどくなる。
レジの人が、にこっと笑って言った。
「袋、温かいのと冷たいの分けますか?」
私は反射で、「あ、お願いします」って言った。ここまでは普通。
その直後、店員さんが続けて言った。
「アプリ入れていただくと、今日からクーポン使えますよ〜」
トーンは明るい。悪気なんてもちろんない。営業として正しい。
なのに私は、胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。
“断らなきゃ”って頭で思うのに、口がうまく動かない。
一瞬、後ろに並んでる人の気配が強くなって、「早くして」って空気が背中に刺さる。誰もそんなこと言ってないのに、私の中で勝手に圧が増える。
「…あ、じゃあ、入れます」
私は言ってしまった。
その瞬間、頭の中で、誰にも言わない本音がふわっと浮かんだ。
「私って、こんなことでさえ自分の意思が通らないんだ」
本当に、小さくて、情けなくて、恥ずかしい本音。
誰かに話すほどの出来事じゃないからこそ、心の中で腐りやすいタイプのやつ。
アプリの登録画面を開きながら、私は自分に対して少し意地悪な声を出していた。
「また増やすんだ、こういうの。だから財布も頭もパンパンになるんだよ」って。
それは店員さんへの苛立ちじゃなくて、完全に自分への苛立ちだった。
「今だけ」が積み重なって、生活の輪郭がぼやける

登録は数分で終わった。
クーポンも出た。たしかにお得。理屈としては正しい。
でも、私はレジ横で受け取ったレシートを見た瞬間、ため息が出た。
卵、牛乳、豆腐、バナナ。
それに、揚げ鶏、チョコ、カフェラテ。
そして、アプリ登録特典のクーポンで割引された、別の甘いお菓子。
“今日だけ”って思ってるのに、“今日だけ”が増える。
“今日くらい”って思ってるのに、“今日くらい”が続く。
そういうのが積み重なると、生活ってどんどん輪郭がぼやけていく。自分の暮らしなのに、なんだか他人の部屋みたいになっていく感じ。
家に着いて、靴を脱いで、暖房をつけて、買ったものを冷蔵庫に入れる。
その途中で、私は揚げ鶏を一口かじってしまった。台所じゃなくて、玄関とリビングの間の変な位置で。コートも脱いでないのに。
「あ、やば」って思いつつ、止められない。揚げたての塩気が、今日の疲れにちょうど良すぎた。
このときも、心の中の本音が出た。
「ちゃんと暮らしてる人って、帰宅してすぐ揚げ鶏食べないよね」
そう思ってしまう自分が、いちばん嫌だった。
ちゃんと暮らしてる人、って何。誰が決めたの。
でも、こういう比較って、疲れてる時ほど勝手に出てくる。
「断れない」は優しさじゃなくて、ただの疲労かもしれない

私が今日気づいたのは、断れない自分が「優しい」わけじゃないってことだった。
もちろん、優しさがゼロとは言わない。相手を嫌な気分にさせたくない気持ちはある。
でもそれ以上に、私の場合は単純に、断るためのエネルギーが残っていないことが多い。
断るって、思ってるより作業なんだよね。
「結構です」と言うだけなのに、空気を読む、相手の反応を想像する、後ろの人の視線を気にする、自分が冷たい人に見えないか考える。
その全部を一瞬で処理しなきゃいけないから、疲れてると無理になる。
だから私は、断れない。
そして断れない自分に、後から勝手にがっかりする。
このループが、静かに生活を雑にしていく。
多分、同じような人、いると思う。
「別に欲しくないのに、なんとなく買っちゃう」とか、
「断りたいのに、笑って受け取っちゃう」とか、
「後から一人で“なんで私…”ってなる」とか。
わかる…って言ってくれる人、きっといる。
今日の私の雑さは、揚げ鶏でもチョコでもなくて、
“自分の意思を守る体力が足りなかったこと”だった。
「丁寧」は大きな習慣じゃなくて、レジ前の3秒に宿る
夜、部屋の明かりを少し落として、ソファに座って、買ったものの袋を見た。
紙袋の持ち手が少し食い込んでいて、手のひらが赤くなっている。
私はその赤さを見て、急に現実味が増した。
「私、今日もちゃんと生きてたな」
なぜか、そんなことを思った。
ちゃんと、って言葉が自分を苦しめることもあるのに、今日は逆に、救われる側に回った。
“丁寧な生活”って、洗練された料理とか、整った部屋とか、そういうことだけじゃない。
少なくとも今日の私にとっての丁寧は、もっと小さい。
レジで「結構です」って言えるか。
いらないものを「いらない」と決められるか。
疲れてる自分を理由に、全部を流さないでいられるか。
私は今日、そこができなかった。
だから反省、で終わらせるのは簡単なんだけど、反省で終わらせるとまた疲れる。
だから、私は別の小さな変化だけ残しておくことにした。
冷蔵庫に入れた豆腐を見て、私は思った。
明日、揚げ鶏を買う前に、家の冷蔵庫の中を一回だけ思い出そう。
それだけ。ほんと、それだけでいい。
私の生活は、たぶん明日も完璧にはならない。
また余計なものを買うかもしれない。
また断れないかもしれない。
でも、レジ前の3秒だけ、ちょっとだけ自分の味方になれたら、それは十分“丁寧”に近い気がする。
そういえば、帰宅してから郵便物の封を一つだけ開けた。
山の中から一枚だけa4の紙を抜いて、テーブルの上に置いただけ。
それだけなのに、部屋の空気が少しだけ“私の生活”に戻った感じがした。
この程度で達成感を覚えるの、我ながらかわいい。いや、情けない。どっちでもいいけど。
最後に、今日の余韻として、これだけ置いておきたい。
あなたは、疲れてるときの「断れなさ」を、どんなふうに扱ってる?





