鏡を見るのが少しつらい日に気づいた、完全オーガニックなエルゴチオネインの安心感

夕方のキッチンは、いつもより少し寒かった。
エアコンの風が、流し台のステンレスに当たって、薄い金属音みたいな気配を立てる。窓の外はもう暗くて、部屋の明かりだけがガラスに跳ね返っている。自分の顔がそこに映って、なんだか「今日の私って、こういう顔だったんだ」と遅れて気づく。
今日は、うまくいかなかった。
“事件”みたいな派手な失敗じゃない。大きな声で「やらかした!」って笑えるほどでもない。もっと、手のひらサイズの、地味なつまずき。
たとえば――
朝、家を出る前に鏡を見て、「よし、今日は大丈夫」と思ったのに、駅のホームでふとスマホのカメラに映った自分が、疲れた顔をしていた。
仕事中、言うべきことを言わずに飲み込んで、あとから胸の奥が熱くなった。
帰り道、スーパーのレジで会計を終えたあと、なぜか「ありがとうございます」の声が自分から出てこなかった。出そうと思ったのに、喉のあたりで引っかかって、結局、会釈だけして通り過ぎた。
全部、小さい。
でも、こういう“小さい”が積み重なると、一人暮らしの部屋の空気が、少しずつ重くなる。誰にも言わないぶん、どこにも逃がせないまま、じわじわ溜まっていく。
冷蔵庫を開けて、買ってきた豆腐と、よくわからないサラダのパックを眺める。
「ちゃんと食べたほうがいいよね」って、何度も聞いたことのある正しい声が、頭の中で鳴る。
でも今日の私は、その“正しさ”の音が、少しうるさい。
何がうまくいかなかったんだろう。
仕事?人間関係?体調?
多分、全部ちょっとずつ。
それがいちばん厄介で、いちばん私らしい。
こういう夜って、決まって“何か”が欲しくなる。
甘いもの、あったかい飲み物、誰かのメッセージ、布団の重み。
そして最近は、もうひとつ。「明日の自分が少しマシになりそうな予感」。
予感って、現実より弱い。
でも、弱いからこそ手を伸ばしたくなるのかもしれない。強い現実に向かって、細い糸を一本だけ投げておくみたいに。
そんなふうにして、私はスマホでぼんやり検索してしまう。
「疲れ 顔 戻らない」
「なんとなく不調 原因」
「コンディション 整える 習慣」
検索結果の文字はいつも、私よりしっかりしている。
断言して、整理して、結論を出す。
それが頼もしい反面、今日は少しだけ怖い。だって私はまだ、今日の気持ちに名前をつけたくない。つけた瞬間、固定されそうだから。
スクロールしている途中で、目に止まった言葉がある。
世界初。日本製。完全オーガニック。「エルゴチオネイン」。
日常の“ちいさな負け”が、肌に出る夜

エルゴチオネイン、という音が、妙にやさしく聞こえた。
なんとなく、理科室の匂いがする言葉なのに、今日の私には「大丈夫だよ」って言ってくれる人の声みたいに響いた。
たぶん私は、成分の正確な説明が欲しかったわけじゃない。
「世界初」とか「日本製」とか「完全オーガニック」とか、そういう言葉に救われたかった。
“ちゃんとしてるもの”に、今日の私を預けてしまいたかった。
ふと思う。
一人暮らしって、自由だ。好きな時間に帰って、好きなものを食べて、好きなだけ黙っていられる。
でも同時に、“自分の面倒を見る責任”も丸ごと一人で抱える。
調子が悪い日も、機嫌が沈む日も、誰も代わりに取り扱ってくれない。
だから私は、何かに「管理してもらいたい」と思うのかもしれない。
自分の心とか体って、たまに扱いづらい。
説明書もないし、保証期間もないし、昨日と同じ方法が今日も通用するとは限らない。
今日の私は、特に扱いづらかった。
仕事中、笑うタイミングがずれていた気がする。
相手の冗談に、ちょっと遅れて笑ってしまって、取り繕うように「ですよね〜」と言って、余計に空気が薄くなった。
あれ、私、今どこにいるんだろうって思った。身体はそこにいるのに、気持ちだけが少し後ろに引っ込んでいる。
帰宅して、マスクを外したとき、頬のあたりにうっすら残ったゴムの跡が、妙に長く消えなかった。
鏡に近づいてみる。肌が荒れているわけじゃない。
でも、何かが“滞っている”感じがした。
血行とか、睡眠とか、ストレスとか、そういう言葉で片づけられそうで、片づけたくない違和感。
私がモヤっとしたのは、「肌が荒れた」ことじゃなくて、
肌が、今日の私の“弱さ”を正直に映していたこと。
見た目って、心より先にバレる。
自分には隠せても、鏡には隠せない。
そこでまた、あの言葉が頭に戻ってくる。
世界初。日本製。完全オーガニック。「エルゴチオネイン」。
「ちゃんとしたもの」に甘えたくなるとき

“世界初”って、本当のところは私には分からない。
調べれば答えは出るのかもしれない。でも、今日はその答えが目的じゃない。
私はただ、その言葉に含まれている「誰かが丁寧に作ったもの」感に、寄りかかりたかった。
日本製、というだけで少し安心する自分がいる。
それは単純かもしれないし、思い込みかもしれない。
でも、思い込みって、疲れた夜に意外と効く。
完全オーガニック、と聞くと、身体に入るものの“角”が取れていく気がする。
本当は角なんて見えないのに、心のほうが勝手に丸くしてしまう。
エルゴチオネイン――
名前だけで、守られている気がする。
それって多分、「成分」じゃなくて「物語」に惹かれているんだと思う。
「これを選ぶ私は、ちゃんと自分を大事にできている」
「疲れた日でも、明日を諦めていない」
そんなふうに、今の自分に点数をつけたくなる。
今日の私は、点数が欲しかった。
褒められたいわけじゃない。ただ、落第だけはしたくなかった。
でも同時に、少し怖い。
“ちゃんとしたもの”に頼った瞬間、頼らない自分がダメに見えてしまうから。
サプリや美容や習慣って、いつも希望の顔をしているけれど、裏側に「できない自分」の影も作る。
私はたまに、その影に踏み込んでしまう。
「また続かないかもしれない」
「買って満足するだけかもしれない」
「結局、根っこは変わらないかもしれない」
こういう声を、誰にも見せていない。
見せたら、面倒な人だと思われそうだから。
でも本当は、面倒なのは“人”じゃなくて、私の心の揺れのほうだ。
だから、結論を急がないまま、今夜はただ眺めている。
世界初、日本製、完全オーガニック――そういう言葉を眺めながら、
私は自分の中の「信じたい」と「疑いたい」を、同じテーブルに座らせる。
信じたい。
明日はもう少し、顔が軽くなるかもしれない。
疑いたい。
でもそれは、期待して裏切られるのが怖いから。
気づくのは、いつも後からだ。
私は「良くなりたい」というより、「悪いままの自分を見たくない」んだって。
そして、その気持ちを自覚した瞬間、少しだけ優しくなれる。
見たくないほど、今日の私は頑張っていたのかもしれないから。
キッチンの電気を消して、部屋の間接照明だけにする。
光が柔らかくなると、部屋の輪郭も心の輪郭も、少し曖昧になる。
曖昧って、案外救いだ。答えを出さなくていい余白ができる。
エルゴチオネインのことも、今夜は「分かった」にはしない。
ただ、気になった。
ただ、触れた。
ただ、少しだけ、明日に糸を投げてみた。
そして私は、今日のうまくいかなさを“なかったこと”にしないまま、ベッドに向かう。
明日がどうなるかは分からない。
分からないけれど、分からないままでも眠れる夜があることを、思い出したい。
余韻だけ残しておく。
今日の私は、まだ途中のまま。





